10−12−23 東北の田舎にて
今週は山形県南陽市に出張です。私は日本の中で訪れた事がない県がまだ3つあります。福井県、富山県、そして山形県です。
富山県と福井県は車で通りすぎた事はありますが、どこかの町を訪れたという事ではないので、行った事のない県にしてあります。

山形県への用件はここにある取引先のS社の子会社の工場を訪れるためでした。工場に行くのを決めたのは2週間ほど前で、この会社の本社からOさんという方が同行してくれました。Oさんとは、そうです、オハイオにいて私とほぼ同じに日本に帰国されたOさんです。

山形県南陽市までは先ず近鉄で名古屋まで行って、東海道新幹線で東京まで。
東京から東北新幹線/山形新幹線で赤湯まで、6時間弱の旅です。

赤湯に着いたのは昨夜の6時前、本当に田舎の新幹線だけの駅で、ポツンとあります。

ここからタクシーに10分ほど乗って大和屋という”旅館”に向かいます。
仕事での旅で”旅館”に泊まったのは多分これが初めての経験です。

タクシーを降りると若い仲居さんが出迎えに玄関まで出てきてくれました。

そして入り口には私の会社名とS社の名前が大きな札に別々に書かれて、それぞれ1名なのですが「S社ご一行様」、「H社御一行様」、となっています。

廊下を通って部屋に案内されましたが実に旅館らしい、正当派旅館です。何だか嬉しくなってしまいました。
食事は7時からでしたが早く準備ができたので、6時45分くらいにOさんが部屋に呼びに来てくれました。

食堂で食べるという事なので、あんまり期待していなかったのですが部屋に通されてびっくり。

6畳くらいの部屋にかなり本格的な日本料理が準備されており、床は畳にもかかわらずテーブルと椅子です。
きっとOさんが気を利かせて旅館にお願いをしてくれたのでしょう。

さっそくビールで乾杯、先ほどの若い仲居さんが料理の説明をしてくれます。
和食ですからお造りもついていますがやはり山形の内陸部、山菜を使った料理が美味でした。
もちろん山形牛を使った料理も、ちゃーんとありました。

Oさんは山形名産のワインを飲んでいましたが、私は生涼(せいりょう)という山形の地酒を仲居さんから勧められ、これに徹して飲ませて頂きました。

Oさんと話も弾み、9時15分頃に仲居さんに、「はい、時間で〜す!」、と言われるまでダラダラと飲みました。
イヤ〜、料理もマズマズ、お酒は最高、仲居さんもべっぴんさんで満足な一夜でした。
翌日はタクシーで工場まで。工場長のKさんと副工場長のIさんが出迎えてくれました。
さっそく応接室に通され、しばらく世間話をします。KさんもIさんもテキサス・エルパソに駐在の経験があり、オハイオ・コロンバスにも何度も来たことがあると仰ってみえました。

本題に入る前に先ず山形県の紹介と会社の概要についての説明です。山形県の紹介では3世代所帯の数が日本一だとか、人口当たりの車の数が日本一だとか、1軒の家の広さが日本一(3世代同居率の高さと関係があるそうです)とか、さくらんぼ意外にブドウでも結構有名だとか、知らないことばかりで興味津々でした。

工場については山形以外に岩手にも工場が何カ所もあり、東北Sという名前でSの子会社になっておりました。
この会社は人手を相当に必要とする部品を、東北で集中的に作っています。工場長のKさんは親会社からの出向で出身は私と同じ三重県、副工場長のIさんはこの子会社の生え抜きとの事でした。

ナゼ東北に工場を作ったのか理由を聞くと、ズバリ人件費を安くできるから、という返事が返ってきました。やはり同じ日本でも地域によってかなりの賃金の差があり、東北・九州は関東・中部圏より低いのは事実です。

製品の工程などの詳しい説明を聞いた後、実際の工場の中を見せてもらう事にしました。中で仕事をしている従業員の70%くらいが女性です。その作業の早さと器用さにはびっくりです。
工場に行って、その工場がどのように管理されているか、従業員がどのように教育訓練されているかは説明を聞いて、その後実際に工程を見せてもらうことによって70%くらいは把握できますが、会社の山形工場は非常によく管理されている印章を持ちました。

この会社はこれと同じ工場をアメリカ・ケンタッキー州に持っていたのですが、7〜8年前にアメリカから撤退をしてメキシコに移したのは以前から知っていましたが、工場を見てその理由がよくわかりました。
このような作業をアメリカ人にやらせたらどうなるか、それは私もイヤと言うほどよく知っているからです。

後でOさんにメキシコ工場の工場管理、従業員管理についていろいろと聞きましたが、「アメリカよりはうんとましですが、日本のレベルは望むべくもありません。」、と言ってみえました。

私はアメリカの工場でよく見た、従業員が部品を平気で足で踏んだり、蹴飛ばしたり、ボンボン投げたりする姿を思い出しながらこの工場を見学させて頂きましたが、あためて日本人の丁寧な仕事ぶりには感心する以外ありませんでした。
昼食は近所の蕎麦屋で摂りました。山形は蕎麦でも有名だそうですが、大食の私にはちょっと上品すぎる量で心残りがありました。
工程の見学を終え、再び応接室に戻って製造管理について更に詳細について質問をさせてもらい、午後2時ちょっと過ぎに工場をおいとましました。
山形新幹線”赤湯駅”
南陽市には他にもいくつもの工場があり、また山形全体ではいろいろな種類の工場があります。
これらは日本国内の製造業の一部を支えており、山形新幹線が開通してからは更に加速された、という事でした。

赤湯駅で上りの新幹線に乗って私は宇都宮で降り、Oさんと別れました。
実はOさん、山形工場に来るのは7〜8年振りだそうで、Oさんも来る機会があったのでよかった、と仰ってみえました。

今回はS社の山形工場をじっくり見せてもらい、知りたかった製造・製品管理についても目的の80%くらいを達成できわざわざ山形までやってきた甲斐がありました。

でも”旅館”に泊まり、おいしい”山形の日本酒”を頂き、”東北の田舎の親切な雰囲気”に接する事ができたのが一番の成果だったかも、、、。

今度は仕事ではなく、ゆっくりと温泉に浸かってのんびりとしたいな〜、そんな事も帰りの新幹線の中で考えておりました。
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