10−11−30 オハイオ仲間
私の会社はラグビー社会人リーグで2年前にはトップウエストAリーグで優勝をした有力なチームがあります。
選手は45名いて、私の職場にはこのチームの選手が1名いて午前中は会社で仕事をして午後はほぼ毎日練習をして、そしてあちこちの試合に出ています。

彼の名前はH君、26才です。朝のミーティングには出ますので時々試合の話を聞かせてもらいます。
「Nさん、ガイジンは何であんなに香水をつけるのですか。スクラム組むと香水の匂いが気になって仕方ないっす。」
彼はオーデコロンのことを香水と言います。

各企業のチームはオーストラリア人とかニュージランド人などの外人選手をチームに入れており、これらのガイジンとぶつかり合った時の話のようでした。
「でもだんだん汗の匂いが強くなっていって、香水と汗の匂いでグチャグチャになって最後は何だか変になりそうです。アハハハ。」
「じゃ今度うちのチームのガイジンに聞いてみたら?うちのガイジンは香水つけてないの?」

わが社のチームにも外人選手が4〜5人いるのです。
「あー、ボク英語だめなんです。」
彼はあくまで陽気です。

私の職場には他にラグビー部のアシスタントコーチが1名、硬式野球部の元選手が3名、ハンドボール部の元選手が1名います。硬式野球部は2年前はたしか都市対抗戦で優勝した、これも有力なチームです。

ハンドボールもかつては社会人では有力なチームでオリンピックに出場した選手もいます。女子マラソンで結構有名な選手もこの職場にいました。今の私の職場は(元)スポーツ社員だらけの。みんな黙々と仕事をしています。
以上、職場便りでした、、、。
ここのところちょっと更新をさぼっていましたが、HPを止めた訳ではありません。いろいろな事が重なっており、なかなか余裕がない状況にあった(未だ、ある、というのが正確な言い方かも)からです。

とは言うものの時間は正確に過ぎ去っていき、既に11月も最後の日になってしまいました。
オハイオからの連絡では既にクリスマス一色のようで、ショッピングモール、各家庭、職場までイルミネーションで飾られたあの何とも言えない雰囲気が懐かしく思い出されます。

昨日はある部品メーカーS社のOさんとミーティングをやりました。
1時間半程の打ち合わせをやった後雑談になりました。Oさんはメキシコに数年いた後、家族をメキシコに残してオハイオに転勤になり、私の家から車で15分くらいのところに住んでみえ、私とほぼ同じ時期に日本に帰られた方なのです。
今の住まいも私の住まいから車で10分ほどのところで、少々奇遇でもあります。

自然に話題はオハイオ・メキシコの事になりました。家族については奥さんが今でも、「メキシコに帰る。」、という言葉を使っているそうで、息子さんもこれは同じだそうです。
つまりメキシコは奥さんと息子さんにとっては異国ではなくなっているのです。
これはよく聞くケースで、数年たっても子どもが、「お父さん、アメリカにはいつ帰るの?」、という質問をされて困惑しているという人を何人も知っています。

私は24年ぶりに鈴鹿に帰ってきたわけですが、その間自宅は社宅として会社に借り上げてもらっていました。
オハイオから帰るときにこの契約を解除して、家の修繕をして一応住める状態にしてもらいましたが、古いタイプの家なので実際には住んでいません。(倉庫代わりに使っています。)
Oさんはメキシコとオハイオにいた6年間、自宅には誰も住んでおらず、やはり相当に家は傷んでいたそうです。

専門業者による掃除、カビ取りだけで30万円近くを払い、置いていった電気製品の殆どと家具の一部は使い物にならず、これを処分するだけで10万円近くが必要だったそうです。
時々は誰かに頼んで雨戸などを開けてもらっていたかも知れませんが、それにしても6年間も殆ど閉め切った状態にすると家の中のものはそういう事になるのでしょう。

私もオハイオ転勤の時は電気製品の半分は処分、残りの電気製品と家具の一部をカミさんの両親の家に置いていきました。
それぞれ両親は14年間使ってくれたようで電気製品は天寿を全うし、家具は差し上げたので有効活用され無駄にはなりませんでした。海外への駐在はこういうロスも馬鹿にはできません。
(私も帰国後、全ての電気製品と家具の大半を買いました。一体いくら使ったのかな〜、計算するのが怖い、、、。)
Oさんとは子供の件も話題になりました。
Oさんは子供さんが1人で、中学生で帰ってきたわけですが、あの手この手を使ってある私立中学の編入試験を受け、無事合格をしてここに入ったそうです。

やはり公立中学ではイジメの問題などが心配だったので、私立に入学させようとしたのですが最初はこの中学も中途入学は過去に例がないという事で断られたそうです。
ところが帰国寸前に校長先生が変わって急遽方針が変更、入学が実現したのでした。

小学生、中学生で日本に帰って、イジメに遭う子どもの話はやはりよく聞きます。特に公立中学校でその傾向が強いようです。
先生が生徒と一緒になって帰国子女をイジメた、なんて話もこういう田舎では珍しくありません。

Oさんの話で意外だったのは、オハイオからベッド・家具を日本に持ってきて重宝しているという点です。
アメリカから持って来てはならないもののNO1は、家具と聞かされていましたので私は1つを除き、全部売却して持ってきませんでした。
この一つも、このサイズでこの用途だったらいいだろうと自信を持って持ってきましたが、やはりダメでした。サイズは問題ありませんでしたが、デザインがダサいというか荒削りで日本の家(部屋)には合わないのです。

Oさんはベッドを持ってきて非常に満足していると仰ってみえました。
アメリカのベッドはマットレスが2段で、日本ではあまり一般的ではないそうです。(私はそこまで観察した事がなく、言われてみて、そうですか〜、という感じでしたが。)非常に快適に毎晩寝れると仰ってみえました。
家具も小型のものを帰国前に買って、ばっちりと使えているそうです。

私は家具1つ以外に、組み立て式の本棚(ブックシェルフ)を2つ持ってきました。
本棚はデザインはあまり関係ないし、アメリカのものは大きくて(幅100cm/高さ190cm/奥行30cm)安くて(95ドル/8000円)頑丈なのでこれは正解でした。

そんな話をOさんとしているとオハイオの風景が頭の中で蘇って、少々懐かしくなってしまいました。
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