10−08−15 敗戦記念日
日本では8月15日は特別な日です。それは太平洋戦争終結、つまり敗戦記念日だからです。テレビでも新聞でもこの8月15日に向けての番組、記事が並びます。ニュースもこれにちなんだ内容が多くなります。

太平洋戦争は第2次大戦の中の日本と連合国の戦いの事を指しますが、オハイオにいると第2次大戦とはヨーロッパでの戦いを指し、太平洋での戦いはパシフィック・ウオーという事で別扱いでした。
例えば8月15日を日本降伏の日、という見出しで新聞に報道されるのを見ますが、やはり太平洋の戦いとヨーロッパの戦いは明確に分けています。

また太平洋戦争の始まりは"日本の卑怯な騙し討ち"、つまりパールハーバーの騙し討ちによって日本から仕掛けられたものである。

従って広島、長崎の原爆投下は真珠湾攻撃のお返しであり、かつ戦争を早く終わらせてアメリカの若者の無駄な死を救った、というのが彼等の解釈です。

原爆投下・大量虐殺は彼等にとっては反省とは全く関係がない、日本人は先ずこれを”良い・悪い”ではなく、よく理解しておくべきです。

核兵器の根絶も今も一生懸命核爆弾を作っている北朝鮮とか、日本の経済援助(戦争賠償)を軍事費につぎ込んで原子爆弾を作っている支那とか、管理体制が非常に怪しくなっているソ連とかに対しては何の声明もない各種団体のやり方は、説得力が乏しいと言わざるを得ません。
オハイオにいて私が戦争を意識した出来事を書いてみます。思い出せば他にも一杯ありましたがこの中のほんの一部です。

撃墜される日本の飛行機

ある大病院の待合室にいた時の事です。オハイオの大病院の待合室というのは、ホテルのロビーのような感じのところもある豪華なものです。

どのような番組だったか、据えられたテレビからは太平洋戦争で日本の飛行機が次々と撃墜されるシーンが流れていました。
日米の太平洋での戦いのフィルムはオハイオではしょっちゅう見ることができ、日本のように8月15日前の数日だけという事ではありません。

この画面を見ながらチラチラと私の顔を見る老人が2名、日の丸の飛行機がパッと火を噴いて落ちていくシーンを見てニヤニヤして私チラチラと見ます。
人種が違っても何を考えているのか、私にははっきりわかりました。

ショッピングモールでニヤニヤして腹切りのマネをした老人とすれ違った事もありました。でもここ6〜7年でこういう経験をしなくなりました。戦争経験者の多くが高齢になり外で会う機会が減ったのと、やはり亡くなっていく人が多いからだと思っていました。

伊号潜水艦の最後

太平洋戦争中、日本はドイツからレーダーの技術を輸入すべく伊号潜水艦をドイツに何隻も派遣、その図面を持って帰ろうとしました。持ち帰りに成功した潜水艦もありましたが殆どが失敗、つまりインド洋とかで撃沈されています。

その中でアメリカが撃沈した伊号潜水艦は、最後に撃沈するまでのソナーの音響記録が残っていて、それがドキュメンタリーで報道された事があります。
番組では日本のレーダー技術の向上を封じ込めた英雄という事で、その任務に当たった海軍のパイロットなどが登場していました。

その中で衝撃的なのはソナーの音響記録でした。シュ、シュ、シュというスクリューの音をソナーは捉えていました。
伊号潜水艦には100人近くの日本海軍の精鋭が乗っています。

飛行機からの攻撃を必死で回避しようとしているのでしょう。シュ、シュ、シュというスクリュー音が益々大きくなります。伊号潜水艦の巨体が見えるようです。

そこにドーンという鈍い音が2回、ザーッという音がしばらく続きます。そして静かになりました。もうシュ、シュ、シュという音は聞こえませんでした。

ドーンという音は飛行機から投下した爆雷が伊号潜水艦に命中した音でした。
100名近くの日本人が殺された瞬間でした。

90才に近い、アメリカ海軍の元パイロット、「私がやったのだ!」、何度も誇らしげに繰り返していました。

日本進駐のオハイオ人達

私は元ラジオ少年で、オハイオでは真空菅式ラジオの部品などを集めるために、休みになるとフリーマーケットを駆けめぐっていました。
アメリカには古いラジオの部品、真空管が無尽蔵に所蔵されています。集まっているのは年配者が多く、私なんか若い方です。そんな中で知らない人から時々声を掛けられました。

「お前は日本人か?」
「そうだ。」
「どこから来たのか?」
「生まれは名古屋の近くだ、名古屋を知っているか?」
「おお、知っているとも!オレは46年から2年間、Gifuにいたんだ。」


延べ何十万人という外交官でも何でもない、普通のアメリカ人が1945年から1955年くらいの間に、日本に進駐軍という形で来ていました。

私に声を掛けた多くの老人達は日本を懐かしんでいる人ばかりでした。彼等の目には懐かしさと親しみが滲んでいました。
彼等が今の日本を見たら何と言うでしょうか。

泣いている寄せ書き

元ラジオ少年が集まるフリーマーケットには、ラジオとは関係のない物も並べられています。
そのような中で時々見掛けたのが、出征する兵士に持たせた日の丸にびっしりと書かれた寄せ書きでした。

名前だけでなく”XX君の武運長久を祈る”、とか書いてあるものもありました。そしてにはXX県XX村とか書かれてありました。これが100ドルとかで売られていました。
これの持ち主はどこかで戦死したのでしょう。アメリカ兵が記念に持って帰ったものです。

私は日本人の魂が100ドルで、異国の地でガラクタと一緒に売り物にされているのを見て、悲しくて仕方ありませんでした。

この話をある日本人の駐在員の奥さんにしたら、「SHINさんって、変わっていますね。そんな物見て、そんな考え方するって。」、と言われました。この時のショックは忘れられません。

海軍大尉

一時期オハイオの私の会社ではJMO(ジュニアー・ミリタリー・オフィサー)、つまり予備役になった軍の中尉クラス(一部大尉)を採用しました。
みんな20代後半の若者で学校出たばかりの者を採用するよりも、他の組織の経験者を採用した方がいいという総務の方針だったのです。

私のところにも5名だか6名の連中が配属されてきました。ズバリ、全く使い物になりませんでした。そもそも"日系企業"にいるという意識が全く欠落していました。
その中に30才ちょっとの海軍大尉がいました。

大尉: 「貴方は日本人ですか。」
私: 「然り。」
大尉: 「私は日本帝国海軍を尊敬しています。」


と言いました。私は彼といろいろ話をしました。
やがて彼は会社を去り、政府の情報機関に転職していきました。技術的にもリーダーシップも驚くほど平凡で、この男も使えませんでした。

いろいろと話した中でわかった事は、彼は一般的なアメリカ人に共通の、今の日本・日本人ついては何の興味も関心もない男でした。

只、彼がはっきりと言った、「帝国海軍をリスペクト(尊敬)する」、と言った言葉が今でも耳に残っています。
14年ぶりに8月15日を日本で迎えてテレビを見ていて非常に気になる事が1つあります。
それは戦争を風化させてはいけない、そのためには戦争の悲惨さを忘れてはいけない、という趣旨のかなり情緒的内容の番組ばかりである点です。

私が思うに、今やらなくてはならない事はもっと別にあると思っています。それは戦争がナゼ起きたのか、これを70年経った今、冷静に国民に伝える事です。

ナゼ日本が支那に進出したのか、ナゼ米英などの国が日本を経済封鎖したのか、ナゼ日本は開戦に踏み切ったのか、等です。

これらに触れていくと、その前の江戸末期から明治維新、日本の近代化という流れを知らないと理解できない事がたくさんある点にも気が付きます。

これらの大きな流れの詳細は、幸いな事に今はその"事実"が出揃っているので見解の相違が出る余地が殆どなくなっています。

ですからナゼ戦争が起きたのかを説くのは、簡単だと思っています。これこそ戦争から日本人が学ばなくてはならない最も重要な事でしょう。
戦争の悲惨さのみを報道する番組が多いのがどうも気になります。

他の国ではこのような内容の報道番組は恐らく"危険"すぎてやらないと思います。
中国、韓国、北朝鮮、ロシア、ヨーロッパの国々でこのような内容の報道がされているとは思えません。
もちろんオハイオでもありませんでした。

ナゼ日本はこういう放送が多いのでしょうか。ナゼ戦争が起きた理由を素直に伝える事に消極的なのでしょうか。何か意図があるのでしょうか。
inserted by FC2 system