09−07−18 エアー・ショー
コロンバスの西100kmくらいの所にデイトンという市があります。ここは空軍の町で日本で言えば入間市のような存在かも知れません。デイトンはライト兄弟が飛行実験活動をやった事でも有名で、空軍基地の名称も”ライトパターソン空軍基地”となっています。

デイトンでは毎年7月の3週目に大規模なエアー・ショーが行われ、今まで行くチャンスが96年から13回もあったにもかかわらず、行っておりませんでした。そこで今年こそは、という事で出かけてきました。
デイトンまでは車で1時間ちょっと、今までに何度となく行った所です。

天気は曇りですが、雲の高さは高く、飛行機が飛ぶには支障のない気象条件のように見えます。さあ、出発です。
先ず腹ごしらえです

朝食は近所のマクドナルドで済ませました。
日曜日の朝7時半、マクドナルドに入ると広い店内には客は1人だけしかいません。

朝食セット2つと飲み放題のドリンクで8ドルちょっと(800円)、日本とはボリュームが桁違いです。

そう言えば、ここのマクドナルド、単身赴任の時に時々来ていたな〜、、、13年前を思い出してしまいました。
ゲート

9時頃にデイトン国際空港横の会場に到着です。駐車場料金は5ドル、入場料は1人19ドル。
会場は空港の東側半分の広いエリアを使います。

実はこのエアー・ショー、1988年に出張でオハイオに来ていた時に見に来た事があり、これで2回目なのです。
でも21年前の事なのでよく覚えていません。
この時、出張者で同じく一緒に見に来たUさんは今アラバマに駐在しています。
TC90連絡機、P3C哨戒機

地上展示は広いエプロンに何十機も駐機されています。まだゲートが開いたばかりなので、地上展示機の周りの人は疎らです。

地上展示は一線級の戦闘機とか攻撃機とか持ち込まれていませんでした。
展示機は空軍60%、海軍20%、陸軍10%、その他10%くらいの割合でしょうか。

TC90もP3Cも海軍です。
ヘリコプター?固定翼機?

これは何年か前のアメリカのニューズウイーク誌に欠陥機という見出しで出たV22という多用途の飛行機で、私も記事は読みました。
へりコプターと固定翼機の中間の機体です。

機の横ではこの部隊マークのTシャツとか、帽子を若い搭乗員が売っていました。
カミさんがSSサイズのTシャツがないか探してもらいましたが、残念ながらありませんでした。

このTシャツを探してくれた搭乗員、まだ20才になっていないくらいの感じでした。
T6初等練習機

地上展示機にはパイロット等が側にいて、気軽に質問に答えてくれます。
この飛行機はパイロットの訓練生が最初に乗る飛行機で、テキサスの基地からやってきたと、説明の大尉は答えてくれました。

「今、日本空軍(航空自衛隊)のパイロットにこの機の操縦を教えています。みんな優秀です。」

これが本当だとすると、航空自衛隊もこれを導入するのでしょうか。
第二次大戦時の戦闘機

奥はF4Uコルセア、手前はP51ムスタング、今の飛行機は私は詳しくありませんが、こういう昔の飛行機はマニアに近い知識があります。

P51は最高のレシプロ戦闘機で、日本の戦闘機で互角に戦えるものはなく、苦戦したというスグレものです。

このような第二次大戦の飛行機のデモフライトは、アメリカでは超人気メニューの一つです。
ブラジル空軍アクロバットチーム(1)

この日はブラジル空軍のチームも来ており、華麗な飛行を披露してくれました。

機体はブラジル製のT24という単発のプロペラ機で高等練習機です。
このチームの名前はスモークSQ(煙飛行体)だそうです。
エンジンスタート前にはセレモニーがあるのはどこの国のチームにも共通しています。
ブラジル空軍アクロバットチーム(2)

プロペラ機ですが迫力は満点、十分に楽しませてくれました。
プロペラ機はジェット機のような”轟音”はありませんが、飛行そのものの見応えはジェット機に全く見劣りしません。

もらったパンフレットにはパイロットのOnoda(小野田)大尉、整備のOkabayashi(岡林)大尉という2名の日系ブラジル人の名前がありました。
 
ショーン・タッカー (1)

世界的に有名な曲技飛行のパイロットです。
この小型の飛行機は確かチャレンジャーUとかいう飛行機だったと思います。

この日も見応えのあるアクロバット飛行をやってくれ、何万人もの観客を沸かせてくれました。

この機体、本当に小型で500kgちょっと、でもエンジンは400馬力あるそうです。
ショーン・タッカー (2)

彼は多くの日本人パイロットと親しく、ロック岩崎という日本人のアクロバットパイロットの先生でもあります。

多くのアメリカ人がサインをねだる中、カミさんにサインをしてくれ、立ち入り禁止のフェンスの中に招いて写真も撮らせてくれました。

もらったパンフレットには57才とありました。実に快活で爽やかな感じの人でした。

この人は、この世界では超有名人だそうです。
真珠湾攻撃(1)

アメリカのエアーショーでは必ずこれがあります。翼に日の丸を描いたゼロ戦もどきの飛行機が、攻撃を繰り返し、地上からはドカーンと煙が上がります。

「時は1945年12月8日、日本帝国海軍の攻撃隊が我が真珠湾の基地をを奇襲攻撃、3000名の将兵の命を奪い、、、、。」、というナレーションが会場中に響き渡り、飛行機は執拗に低空攻撃を繰り返します。

これはエアー・ショーの最大の目玉でもあります。
真珠湾攻撃(2)

以前はこの攻撃の途中でアメリカの戦闘機が現れ、日本機を全部撃墜して、観客のアメリカ人はヤイノヤイノの大喝采というのが普通でした。
今回はこれがありませんでした。

経済的な理由で取りやめたのか、アメリカ人も少しは大人になったのか、どちらなのかよくわかりません。

アメリカ人の多くは長崎。広島への原爆投下はこのパールハーバーの仕返しである、と思っている点に日本人は注目しなくてはなりません。
湾岸戦争のエース

A10という地上攻撃機のデモフライトです。
デモもフライトの間、ずっとこの飛行機がいかに優れた地上攻撃機か、会場に鳴り渡るスピーカーで解説がありました。

非常に低速でも飛行でき、信じられないような重武装で、湾岸戦争では敵の戦車を片っ端から破壊したそうです。

地上攻撃の飛行を何度も何度も繰り返し、低速から高速飛行、急旋回などを見せてくれました。
サンダーバード(1)

アメリカ空軍のアクロバットチームです。
飛行の前に今アメリカが戦争をしているイラクでの戦功があった兵士(8名)に対し、このチームのパイロットが勲章か何かを渡すセレモニーが行われました。

その後飛行を開始する前のセレモニーが延々と30分も続いたのには少々うんざり。
早く飛べよな〜、と言いたくなってしまいました。

チームの機体はF16という戦闘機です。
サンダーバード(2)

チームは6機ですがショーは大半が4機+2機という形で行われます。
ジェット機の見応えは、やはり編隊飛行の美しさです。
ジェット機は空気を掻き混ぜないで飛ぶので、機体が安定しており、編隊のままロールをうっても編隊があまり乱れません。

それとパワーにまかせて離陸直後にガーッっと垂直上昇するところなどは見物です。
サンダーバード(3)

この日はド派手な飛行をやってくれませんでした。
はっきり言って航空自衛隊のブルーインパルスの方が格段に見応えがあるように思いました。

この前にC17のデモフライトがありましたが、こちらの方がよかったです。

お天気が快晴でなかったので、演技を制限したのでしょうか。
サンダーバード(4)

飛行を終えるとパイロットが観客の前に来て、サインに応じてくれます。大変な人気です。

この女性の少佐は飛行将校ではなく、パンフレットによるとサンダーバードの飛行隊付の軍医さんでした。

軍医さんでも何でもサインをもらえるならもらっちゃえ、という事でみんな群がっておりました。

その中の一人にカミさんも入っておりました。
会場の通り

このエアーショーには一体何人の人が来ているのか、想像がつきませんでしたが何万人もの人が押し寄せていたのは間違いありません。

食べ物・飲み物もあちこちで売られ、土産物屋も一杯出ていました。
お天気は雲が多く、太陽が出ていませんでしたので、汗をかくこともなく助かりました。
艦載輸送機

海軍の航空母艦に搭載されている輸送機でC−2という名称です。

この飛行機の説明をしている搭乗員の中に東洋人の大尉がいました。この会場で見た只一人の東洋人の将校でした。

これだけ多くの地上展示機があるにもかかわらず、説明をしている搭乗員はナゼか殆どが白人で、黒人も黄色人種も殆どいなかったのはナゼでしょうか。
空軍の巨大機の展示

アメリカ空軍はC5とかの巨大な輸送機の他にいろいろな種類の大型機があって、もう名前を覚え切れません。
MD11の空軍仕様も来ていましたが、名前は何というのだろう?

アメリカ空軍は7000機の飛行機を持っているそうで、これを毎日運用して飛ばしているのですから、世界一の空軍ですね。
ヘリコプター

へりは空軍、海軍、沿岸警備隊が地上展示を行っていました。
陸軍はちょっと離れたところで、1人50ドルでUH−1による体験飛行をやっておりました。

体験飛行は15分、1回に6人くらい乗せていましたから1時間に1200ドルの売り上げか〜、、、。

陸軍は地上展示などには目もくれず、現金稼ぎに精を出していたという訳ですね。
へりの搭乗員達

海軍のレスキューへり(多分)の搭乗員達です。
一番右の大尉は親しそうに話しかけてきました。

「日本人ですか?3ヶ月前まで厚木基地にいました。日本での勤務は3年間でした。日本のどこから来たのですか?」

すると横からもう一人体格のいい大尉が現れて、「私はキティーホークの飛行隊にいました。横須賀は詳しいです。東京もよく行きましたよ。」

快活な連中でした。
偵察機

RC135という電子偵察機です。この機体は機内を公開していませんでした。
部隊は嘉手納、ディエゴ・ガルシア、オマーンその他欧州などに展開している、とだけ説明がありました。

外観は決して新しい機体ではありませんでしたが、北朝鮮がミサイルを発射する直前などは、この飛行機が嘉手納を離陸する様子がテレビで報道されていたのを記憶しています。
ベトナム戦争の老兵

私の世代は学生時代はベトナム戦争一色でした。
私の職場にもベトナム戦争に従軍した社員が何人もいます。

ベトナム戦争では中国などからの補給路を断つため、それにジャングル内の基地の爆撃を行うためにこのB52がグァム島から出撃しました。
いわゆる北爆というやつです。

搭乗員にどこから来たか聞いてみたら、Nダコタ州の基地から来たと言っていました。
デイトン・エアー・ショーも終わりです

夕方5時前、ショーも終わりです。
地上展示の飛行機も自分の基地に帰る準備を始めています。

搭乗員達に、「どこから来たの?」、という質問をするとフロリダから、テキサスから、という答えが多かったように思います。
やはり航空基地は天気のいい日が多いところにあるのだなー、と思いました。

アメリカは今も戦争をしている国です。その戦争をしている国の陸海空軍の飛行機、飛行機、飛行機。
そしてそれらを飛ばしている搭乗員達は殆どが20才代後半から30才代前半という感じでした。
アクロバットチームのサンダーバードのパイロットでも30才〜35才前後でした。やはりアメリカは若い国だなーと思いました。

それと私は飛行機の名前、日本で言えば零戦、九七艦攻、彗星、天山、アメリカで言えばP38、P47、B24、C47とかの名前は脳みそにこびりついています。
が、最近のF16だF18だ、そしてC17だとかの輸送機になるとゴチャゴチャで殆ど怪しくなってしまいます。改めて今回、自分が飛行機少年だった頃の知識しかない事に気付かされました。

オハイオに来て14年目でやっと見たデイトン・エアーショー、見応えのあるショーでした。普段の生活ではなかなかわからないアメリカの一面を見る事ができた良い機会でした。

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