09−01−12 祝福されて

ハワイ到着の翌日はポリネシア・カルチャー・センター(PCC)に行きました。
実は私はハワイは初めてではなく、カミさんと結婚する前の30年以上前に一度来た事があり、その時にPCCに来てここが大きく記憶に残っていたので今回是非訪れてみたいと考えていたのです。

今回は手軽にグループツアーでの参加で12:30ホテル前に集合、帰りは22:30という長いコースでした。
PPCまではホノルルから80km近くあり、バスで1時間以上かかります。

この間を案内してくれたのは” JAMES 森 ”さんという何と昭和5年生まれの78才、恐らくハワイ日系2世で今の日本ではなかなかお目にかかれないタイプの方でした。

お客:「ハワイ大学というのは日本ではなかなか有名ですが、、、日本の署名人も何人も卒業していますが。」

森さん:「あなた何言ってんの?ハワイ大学なんて最低の大学で、成績のいい連中は全部本土の大学に行ってるよ。一度ハワイ大学に行ってごらん。だらーっとした学生ばっかり。直ぐに私の言った意味がわかりますよ。」

お客:「ハワイは観光産業でもっている島ですよね。」

森さん:「ハワイは先ず軍事基地が最大の産業。アメリカにとってこの島は軍事的な価値以外は何もありません。でも2番目の産業が観光かな。次は農業、、、だからアメリカはここを無理やり占領して、自分の国にしてしまったのです。
日本人はみんな知らない、間違ってるよ。」

森さん:「私はPPCまでの案内でおしまいです。どうかみなさん、日本に帰られてもお国のために頑張って下さい。
やはり世界で一流になるには何でも勝たなくてはダメなのです。勝つこと、これが重要なのです。日本は強くなければなりませ〜ん。では皆さん、さようなら〜、、、、」

大体こういう感じでした。

PPCは30年前と殆ど同じなのでしょうが、かなり寂れた感じがしていました。ここでは近くにあるモルモン教関連の大学の学生達が案内などをやってくれていました。

お父さんは白人、お母さんは日本人で高校まで日本にいたというカリーさん(カレーだったかな)、それに沖縄から来て2月のSさんという日本人、カヌーの船着き場ではバリバリの大阪生まれの男子学生がおりました。

このツアーはバイキングの夕食付きで、料理の中に新鮮なマグロの刺身がありちょっとびっくりでした。残念ながら液体燃料の販売をしておりませんでしたので、せっかくの刺身の味わいは半減してしまいましたけど。

19:30から21:00まではイブニングショー「ホライズン」、指定席も前列中央のいい席だったので、なかなかの迫力で観ることができました。

昨日は結婚をする上の娘が日本から到着、独身最後の私達との食事という事で私、カミさん、下の娘の4人で昼食会を行いました。場所はロイヤル・ハワイアン・センター内の和食レストラン。

結婚する事を知らされたのは私が一番最後で、その前からカミさんとか下の娘は結婚するかも知れないという事でK君を知っていたようでした。
ま、父親ってそんな感じなんですかねー、、。

食事の後、上の娘は明日の結婚式の打ち合わせなどがあるという事で私達と別れて、3人はワイキキを散歩。

カラカウア通りを歩くと、観光客風の20〜25%くらいが日本人で残りはアメリカ人という感じです。

日本人は新婚さん、私より10才くらい上の、リタイアーした夫婦、若い女の子の2〜3人連れ、それに結構目立ったのがお父さん抜きの、お母さんと娘という組み合わせでした。

そして貴重品なのが、若い男の1人旅、またはグループ、これは1週間近くハワイにいたのですが見掛けたのは確か2人だけだったと思います。

ヨーロッパに行っても、ドバイに行っても、SFに行っても、どこに行っても日本人の若い男というのは新婚さん以外で見掛けることは非常に希です。みんなどこに行ってるのだろう?

期待のディナークルーズは”スター・オブ・ホノルル”という1500人(これはちょっと怪しい感じがしましたが)が乗ってディナーができるという大きな船。

デッキは4層で私達のデッキは3層目、最初案内されそうになった席が入り口近くだったのでもっと奥の席にして欲しいと頼んだら、一番奥の個室席、ここは3組7名だけが占領でき、最高の席でした。

料理は味はまあまあでしたが、ザリガニ(ロブスター)とステーキというボリューム満点なもので満足できました。
いろいろと面白いショーをやってくれるのですが私達のデッキは全員が日本人、従ってノリがイマイチでした。

アメリカ人みたいに、よくここまでやるね、というくらいにノレとは言いませんが、もっと楽しくやればいいと思うのですが、仕方ないのですかねー。

私達以外の顔ぶれは、左の席が新婚さん、右の席がやはり”お母さんと娘”の2人旅の方でした。
新婚さんが写真を撮って欲しいと言ったので、ついでにどこから来たのか尋ねたら、三重県四日市から来たとのこと。こうやって全く知らないところに来て、同県人に会うと何だか嬉しくなってしまうのは私だけでしょうか。

本日は上の娘の結婚式。10時前に迎えのリムジンがホテルに来て、結婚式を行う教会まで連れて行ってくれました。
教会に着くと相手方のMさん一族は既に到着済みで、ご挨拶。
Mさん一族はご両親、兄夫婦、それにお姉さんの5名、私の方は3名で出席者は全部で8名というハワイの結婚式では大体標準的な数ではなかったかと思います。

式は事前に2名のコーディネーターと神父さんの指導でハーサルをやり、そのあと本番という手順でした。
式は最初から最後まで専属のカメラマンが写真を撮ってくれましたので、安心して式そのものを注目する事ができました。

結婚式をハワイでやるというアイデアは当然2人で決めた事で、こういう身内だけで式をやるのもいいものだと思いました。

それにしてもこの前まで赤ん坊だった、この前まで小学生だった、この前まで中学生だった、この前まで、、、その娘が結婚。
目をつぶるとそれぞれの節目節目の出来事が次々と私の頭の中に浮かんできたのには正直、参ってしまいました。

参ってしまったというのは、そのまま思い出を巡らせていたなら1時間でも時間が必要な感じがしたからです。

娘は私がオハイオに転勤したときは既に高校3年生、翌年の4月の受験を目指して頑張っている時でした。ところが受験に失敗、浪人をする事になってしまったのでした。下の娘は高校1年生、このままカミさんも日本に残るとなると私が単身赴任なってしまう。

考えに考えた挙げ句、浪人生の上の娘を日本に残してカミさんと下の娘がオハイオに来ました。娘は友人の家に下宿して、都内の予備校に通って翌年の受験で希望の学校に合格しました。

私とは17才の時から、カミさんと下の娘とは18才の時から一緒に住むことはありませんでした。

男の子であればともかく、女の子をこんな年令で1人にさせたのはよかったのだろうか、本当にスマナイ事をしたと、心ではずっと思っておりました。

40才以上で海外駐在をしている社員は多かれ少なかれ、全員と言ってもいいくらいに子供の教育などで苦労をしており、結局は親の都合で何らかの犠牲を強いられているのが子供になってしまう、という現実にあります。

でも立派に成長してくれ、今日ここで結婚する娘の姿を見て、やはり感無量でした。

夜はホテルのレストランで、M家の方々と会食をしました。ご両親以外は今回初めてお会いする方々でしたが、皆さんそれぞれきちんとした方々で再度安心をしました。

結婚をしたK君は液体燃料を一切やらず、タバコも結婚を機に止めたという事なのでなかなか感心です。私は液体燃料を摂取するので、少々気にしておりましたが、液体燃料は摂取しないのであれば、それで全く問題なし、中途パンパに摂取をしようとするのが一番よくないと言っておきました。

上の娘はこれからいろいろとあるのでしょうが、苦しいことは乗り越えて、幸せに鳴って欲しいとつくづく思いました。

さて次は下の娘かー、、、。今どういう状態にあるのか、私は全く知りません。

inserted by FC2 system