08−12−29 さらばメキシコ
2日目はクエルナバカとタスコへの観光でした。
クレルナバカまでは2時間ほどのドライブ。クエルナバカという地名は今回メキシコ旅行をするまでは全然知らないところで、ここでは北米、中米で最も古い聖堂がありそれを見学してきました。

クレルナバカの聖堂にはメキシコ人最初の聖人の名前が刻まれており、この人は1590年後に豊臣秀吉のキリスト教弾圧によって日本人20名と外国人6名のうちの1人だそうです。

聖堂の壁にははっきりとエンペラートヨトミヒデヨシによって26名が処刑された、と書いてあるそうですが私にはどこに書いてあるのか説明を受けてもわかりませんでした。

殉教した26人は確か全員聖人に列せられたと記憶しています。
朝早かったせいか街は閑散としており、聖堂前の庭の手入れをする何人かの人を見かけたのが印象的でした。

日本とメキシコの関係はそれ以外に支倉常長の欧州遺遣使節団がメキシコを横断して欧州に行っているそうでその時の記録も残っているとガイドさんが言っておりました。

そう言えば支倉常長のの事はずっとずっと以前に遠藤周作か何かの本で読んだ事がありました。遠藤周作はクリスチャンだったから、このような関係の小説を一杯書いていたので、一時ノーベル文学賞候補になったなー、、、なんて思い出しておりました。

クレルナバカを出てタスコまで更に1時間、途中で強制的に銀の装飾品の販売店に連れて行かれ、ここでお買い物。旅行会社と土産物屋はこういう場合、一体になっている訳でありまして、仕方ないと諦めました。
安いツアーだと1日に3店くらい回る事があると聞いております。

せっかくだから一つだけ買い物をしましたが、全然値切れない。日本人慣れしている店のようでした。

私達の後ろの席に座っていた東京から来た女性にしきりにガイドさんの電話に呼び出しが入ります。
聞くと成田からの荷物がまだ到着していないとのこと。旅行会社が荷物の行方を捜している電話でした。スーツケース2つで、着替えとかも全部入っており、困っている様子でした。

私達のトこの日のトラブルはクレジットカードのブロック。
朝食代をクレジットカードで払おうとしたらカードが使えないとの事。しまった〜、事前に旅行先をカード会社に通知しておくのを忘れていました。

理由はメキシコから急に支払い請求があったので、カード会社がブロックしたのでした。携帯電話からカード会社と銀行を呼び出して、メキシコに旅行中なのでブロックを解除してもらうように依頼をして一件落着。
今回は運悪くカードも1枚しか持ってこなかったので、これがうまくいかなかったら現金は殆どない、カードは使えないという、かなりマズイ事になっていたと思います。
タスコは銀細工で有名なところで、メキシコシティーの南170kmくらいn位置します。街の中心部にて車からおろされましたが、大変な人混み。町並みは植民地時代のスペイン風で、まるきり写真で見るスペインそのものです。
さっそく街の中心の真正面にあるサンタブリスカ教会に入ります。ガイドさんによると有名なバロック建築だそうで、中はなかなか荘厳なものでした。

狭い坂道がいっぱいあって、そこに車がどんどん入ってきて、その間を人がすり抜けるという、あの映画でよくみる典型的なメキシコの風景です。
道路は石畳であちこちの路地では食べ物とか土産物を売っている屋台が乱雑に並んでいます。まあ大変な混雑です。

ガイドさんに連れられて教会の横手にある市場に案内されました。ウーン、、、、なんと言えばいいのでしょうか、上野アメ横をもっと密度濃くして、高低のある路地に作って、食品と土産物屋に特化したもの、と言えばいいのでしょうか。

私はこのようなところを物を買うでもなくブラブラするのが無性に好きなのであります。

ちゃんと液体燃料販売所もありました。ビールが山積みされており、12本で80ペソですから6ドル弱、日本円で500円というところでしょうか。肉屋は何軒かありましたが魚屋は見かけませんでした。

不思議なのは歩いている人は多いのですが、買い物をしている人が少ない事でした。時間的にはお昼頃に行ったわけですが、ホンキ買い物客はいったいいつくるのでしょうか。

食事はレストランの屋上で外が見渡せる素晴らしいロケーション。出された料理の味はまずまずでしたが、この眺めに免じてヨシとしました。

食事が終わりかけた頃に別の日本人グループ8人ほどが入ってきてびっくりでした。やはりここは日本人観光客の重要なコースになっているのですね。

銀細工の街だけあって広場をぐるっと取り囲んでいる店は殆どが銀細工を売る店です。年配のオジサンがしつこく、「セニョール、シルバーファクトリー、ディスカウント、ディスカウントと裏手の店に連れていこうとしましたが、ついて行くのはお断りしました。

とにかくにぎやかです。私の目の前でタクシーが停まりました。
1人、2人、3人、4人、5人、6人、エーッ、、、、、6人がフォルクスワーゲンの古いタイプのビートルから出てきました。最後に出てきたお父さん、目を白黒させて大きなため息をついておりました。私があっけにとられて見ていると、参った〜って顔しておりましたっけ。

こういう街に泊まって、夜はテキーラを飲みながらマリアッチのリズムに酔いしれる、、、。何かもう一度来てもいいかなー、なんて気にちょっぴりなってしまいました。
3日目の観光は本当は闘牛を見に行く予定でしたが、出発する10日ほど前に旅行会社からキャンセルになったとの連絡があり、がっかり。帰りを1日早くするという事も考えましたが、フライトの変更はできないとの事。
で、仕方なく旅行会社が提案するメキシコ民族舞踊を見に行くことにしました。

ホテルまでタクシーで旅行会社の人が迎えに来てくれ、国立劇場まで。そんなに期待はしていなかったのですが、迫力満点のなかなか見応えの踊りを見ることができました。
旅行会社の人から渡されたチケットには座席番号が”G031”とはっきり印刷されていましたが、劇場に入ってみるとそんな席はありません。一生懸命探しても”F031”とかはあるのですがGがありません。

席に座っていた白人が、「ここはどこに座ってもいいのですよ。」、と教えてくれました。モー、ややこしいなー、そんならチケットに座席ナンバーなんか書くなよなー、って感じでした。
2時間ほどでショーは終わり、大満足。

もう一つびっくりしたのは、私の後ろに座っている人が時々日本語を使っていた事です。

子供との会話はスペイン語でやっているのですが、「キレイナフク」、とか。「オオキナボウシ」、とかどう聴いても日本語です。カミさんが後ろを振り向くと、「あっ、日本人の方ですか?」、とはっきりした日本語で話すではありませんか。

こちらに住んでいる日本人なのか日系メキシコ人なのかよくわかりませんが、顔はまるきり日本人の30代の女性でした。
その後ろには親戚なのか旦那さんなのか白人系のメキシコ人がいて私達ににっこり目で挨拶してくれました。

この日の昼食はホテルの日本レストランの日本食バイキングを食べました。マグロ・鯛の刺身、にぎり寿司も食べ放題、その他かなり正統派の日本料理がずらっと並んでいました。
料金は1人240ペソ(19ドル、1800円くらい)で大満足でした。隣の席では半島方面の方の家族がもう動けなくなるまで食い散らしておりましたっけ。

ビール2本を飲んでちょっといい気分で、このあと市内をブラブラと散策。レフォルマ通りを西に向かってドンドン」歩いて1日目に見た独立記念塔まで行ってきました。この日はレフォルマ通りは歩行者天国ならぬ、自転車天国。
道路を自転車が走り回っていました。

メキシコ人はアメリカ人以上に肥満が多く、これを問題視した政府が国民に自転車に乗って減量、健康維持に努めよ、と言うことで日曜日この大通りを自転車のために解放したという事のようです。
でも自転車に乗っているのは減量が必要のないスマートなオジサン、オバサンばかりでしたので、政府の目論見は外れているようでした。             
大邸宅に住む大金持ちと、泥煉瓦の掘っ立て小屋で生活するインディオ。マヤとかアステカの古代文化遺産と超モダンなメキシコシティーの建築物。
歴史を振り返るとそれは悲しい、辛い長い植民地時代が横たわっている、、。

メキシコの街を歩いていると本当に様々な顔をした人と行き交います。小柄なインディオの中にはまるきり日本人と同じような顔をした人もいます。
メキシコでは日本人にはそれほど悪い印象を持っていないと聞きます。
いい印象と言うより、よくわからない国、というのが本当のところのようです。

足かけ5日間の観光旅行ではメキシコの実際は何もわからないのは当然ですが、でも今まで殆ど無関心だった国に少しでも興味が沸いた、というのが今回のメキシコ旅行の最大の成果だったと思います。

治安はかなり悪い、社会システムが機能しない、人は約束を守らない、自己主張が強いとか話には聴いていましたが、短期旅行者ではこのいずれも経験することはできませんでした。

ホテルの部屋はきれいだった(洗面所の蛇口の調子は悪かったのですが)、レストランは1つを除いて安くておいしかった、メキシコレストランもよかった、日本レストランもよかった。市内観光、ティオティワカン、タスコもよかった、博物館もよかった、セニョリーターも結構べっぴんさんを多く見掛けました。いい旅でした。

帰りのホテルから乗ったタクシーの運ちゃんは途中で花売りからバラの一輪を取り上げ(ナゼかお金を払ってなかった)、カミさんにくれました。
運ちゃん:「セリョリータ、プレゼントフォーユー。」

今度はいつメキシコにいけるのかなー、、、もう一度行ってみたい国になりました。ビバ、メキシコ!
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