08−09−20 大停電
今週は火曜日に大きな会議があり、水曜日の朝からはミシガン州の取引先に行って1泊、翌日の木曜日は更にもう1社訪問をして帰宅したのは夜の7時、金曜日になってやっと自分の席に戻るというスケジュールでした。

水曜日におじゃまをした取引先はデトロイトの西で、会社から車で4時間半くらいかかりました。
訪問の目的は10日ほど前にオハイオで打ち合わせをした件に関して現場の確認をする事でしたが、社長さん以下4名の方が対応をしてくれ、私なりに納得をする事ができました。

その日はデトロイト郊外まで戻ってここに宿泊、翌日は別の取引先と朝の8時からある案件についての最終報告があり、私の会社からは日本人が4名、アメリカ人・カナダ人スタッフが5名、相手の会社からは日本からの出張者を含めて10名程の方の出席の中で行われました。
2年越し案件の最終報告という事で、4時間以上をかけて70ページ以上のプレゼンを質問を入れながら聞くというのは結構しんどかったのですが、Kさんと相談の結果”条件付きのOK”という事でクローズとさせて頂きました。

この会社の社長さんはアメリカ生活が25年になる方で、その経験の中から食事後の雑談の中でいろいろと興味深い話しを伺う事ができました。

親会社(日本)からのいろいろな支援活動についての話しの中で、海外の生産会社はアメリカ以外に中国、タイにあると言ってみえましたがナゼかアメリカへの駐在希望者が少ないとのこと。

「アメリカ人は何かを教えようと思っても、言うことを聞かない。
第一、こちらが教えている最中でも足を放り出したまま聞いたり、威圧的な態度をとったり、時間がきたからと言ってさっさと勝手に帰っていく。
こちらは不自由な英語で苦労して説明しているのに、アメリカ人はお構いなしの早口でまくしたてて、人の意見を聞かないで直ぐに自分の意見を述べたがる。」

「これに対して中国・タイの人はまず”聞く”という態度がにじみ出ている。理解をするのが早いか、遅いかとかの問題ではなく、きちんと言うことを受け止めようとする態度が感じ取られる。
どちらに”好感”を持つかと言えば、こちらに決まっています。人間として”また来たい”とか”教えてあげよう”とかいうに気にどっちがなるかと言えば、それは決まってますよね〜。」

「教えて、それを覚えてくれたかなー、と思うと暫く経ってから話しを聞いて欲しいと言ってくる。何かと思えば、先日こちらが教えた事はここが間違っている、これはこうあるべきだという持論の主張に来る。すると延々と議論が始まって、いくら時間があっても足りません。先ずやってみるという事が非常に少ないような気がします。」

ナルホド、どこも同じなだ、、、、、。
タイ人、中国人に真摯な姿勢が備わっているかどうかは意見の別れるところかも知れませんが、Mさんが言うには学ぼうとする姿勢が何となく伝わってくる、それとは全く反対なのがアメリカだと仰ってみえました。
これらの話しは昼食の後の、日本からの海外工場への技術サポートにについての雑談の中で出た一部の話しで、固い雰囲気の中での話しではありません。

最近ちょっと気になるのが、日本の仕事のやり方をアメリカ人に紹介して伝えるのに「日本文化の伝承」、みたいな言い方をする人がいる事です。これを英語に直すと "Transfer of Japanese XXXX Calture" みたいな言葉になり、アメリカ人が本当に学ぼうとする気になるか、という点です。

理由は "XXXX Calture" と言った瞬間、文化だから日本とアメリカが違うのは当たり前で、それを"Transfer"する事には非常に抵抗感が出るからです。紹介して伝えたいのは"Calture"ではなく、もっと具体的な「何か」、である訳ですがどうも精神論的なものが見え隠れして、うまくありません。

「今の業務は改善レベルではダメだ、改革をしなくてはダメだ!」、という場合も要注意で、改革を"Revolution"なんて訳した瞬間、話しがうまく伝わらなくなります。
言いたいこと、やりたい事は痛いほどわかりますが、切り込み方が違うように思います。

さて、この日は合計7時間近くの会議をやった訳ですが、取引先のアメリカ人がこちらの側の指摘に対してメモをとるのを見たのは確か1回か2回だったと思います。(取引先のアメリカ人達は私の正面奥に座っておりましたから動きが全て見えていました。)
私はは相手の立場に立ってかなり慎重に意見を述べたつもりですが、どこまで伝わったのか、何か物足りなさを感じました。

学ばないアメリカ人をどうするか、ちょっと考えてみました。究極の対応策を一つだけ見つけました。
それは教えることを止めればいいのです。教えようなんて思うから問題が起きる。だから止める。じゃ、我々のやり方を伝えるにはどうすればいいいのでしょうか?私はその代わりの方法はいくらでもあると思っていますが。
先週の日曜日の午後から急に強い風が吹き始めました。ハリケーンの残骸がオハイオ州の東をかすめそう、というニュースを聞いていましたがその時は、「ああ、これかな。」、という程度の認識でした。
外を見ると相当な風です。

テレビを見ながらパソコンをいじくっていると突然停電です。ヤレヤレです。日本では最近は停電というのをあまり経験しない世の中になっていますが、オハイオでは時々あります。瞬停(瞬間停電)はかなりの頻繁であり、PC等はこれの対策をしておかないとディスクのクラッシュを起こす可能性があります。

停電の後、風が少し弱くなったかなー、と思った時玄関のチャイムがピンポーン。誰だろうこんな時間に。覗き穴から外を見るとタコ入道みたいなアメリカ人が外にいます。となりの住人です。何だろうと思ってドアーを開けるとびっくり!
隣の家のフロントヤードの大木が我が家のガレージの前に横たわっているではありませんか。

何だ〜、こりゃ!!この強風で木が根本の股のところから裂けて倒れたのです。木は高さが10〜12m、根本の幹の直径は50c
m近くあるのですが、見事に裂けています。枝の先端が我が家のガレージの上の屋根を擦っており、少し傷がついております。

隣の住人はアレンというのですが、目を丸くしてかなり興奮気味。斜め前のインド人もやってきて、ガレージに引っかかった木を何とか動かすことはできたものの、それ以上は無理でびくともしません。

我が家の被害は軽微だったのですが、これではガレージから車を出すこともできません。アレンが早急に何とかする、という事でその場は解散。

家に入ると停電はまだ復旧しておりません。電気がないとコンロが電気なので炊事ができません。湯沸かし器はガスですが電気で制御していますから、お湯も使えません。使えるのは水道と電話だけです。
直ぐに困るのは冷蔵庫の中の食料品です。1時間や2時間は大丈夫なのですが、これ以上になると物によっては傷んでくる食品もあります。

この日の夕食は動いていない冷蔵庫に入っているまだ冷たいビールを飲んで、携帯ボンベのガスコンロで簡単に料理を作ってもらい、これで済ませました。
明かりは最初はろうそくを使っていましたが、あまり明るくないので止めて、先日会社で記念品でもらったLEDの懐中電灯を使ってみました。
やがてPCのバッテリーも切れて何もする事がなくなってベッドに横になったのが10時前。電気がない生活って本当に不便であることを改めて思い知らされました。
私の家のフロントヤードには今は木がありません。実は数年前に同じように突風で倒れてしまったのです。この時もやはりお隣のガレージの前に倒れ込んで、何とガレージの前に駐車してあった車を直撃、車を中破してしまいました。
その時のお隣さんはラッキーな事にR&Dの日本人の方で、「イイですよ、ご心配なく、保険で修理しますから、、、。」、と仰って、私は何もする必要がありませんでした。
今回の反対側のお隣の家はレントハウスなので、私のガレージの屋根の修理について住人ではなく、大家と交渉しなくてはなりません。これにはやはり会社のJさんの力を借りるしかなさそうです。

さて翌日の月曜日、ガレージから車を出せそうもないので、会社のYさんに電話をかけて家まで来てもらい、Yさんの車で出勤しました。
会社についてオハイオ人に聞くと、電力会社のWEBには復旧には1週間程度かかると書いてあるとのこと。エー、1週間も家でシャワーも使えないの〜。参ったなー、、、、。

早速家に電話をかけてカミさんに復旧にはしばらくかかるから、携帯ガスボンベと冷蔵庫に入れる氷を買っておくように伝えました。
夕方の5時頃、再度電話をすると電気は復旧したとのこと。ヤレヤレです。
でもカミさん、私からの復旧1週間という話しを聞いてガスボンベを12本も買ってしまったとぼやいていましたけど。

停電はオハイオのかなり広範囲にわたっており、その後地域ごとに徐々に復旧がされていきましたが、電力会社の言う復旧に1週間は必要というアナウンスは決して大げさではなく、約1週間経ったこの日時点でも。私の家から10kmほど離れた所がまだ復旧していない事を知りました。
このハリケーンの残骸のお陰で木が倒れただけではなく、突風で屋根が飛ばされてしまった家、煙突が折れて飛んでしまった家等相当な被害が出た事がわかりました。

そして何よりも一番大きな被害は長時間の停電です。会社で私の横に座っているDさんも、金曜日時点でまだ停電が続いていると言っていました。
ニュースではいろいろと報道されていますが、想像以上に被害は大きかったようです。
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