08−06−17 違いの国
先日、日本からの出張者と会社のあるカフェテリアで昼食を摂っていて感じた事がありました。そこのカフェテリアはIT部門の社員も食べにくる食堂で多分連中でしょうか、やたらインド人が目立ちました。それと東洋人もちらほらです。

私の会社で東洋人を見かけた場合、殆どが日本からの駐在社員で、これ以外の東洋人は非常に少ないと言えます。私の事務所の1階にもIT部門の連中がいますが、ここもインド人と東洋人の比率がうんと高い。
IT部門というのは派遣社員のカタマリみたいな部門なので大半は社員ではないと思うのですが、いずれにせよ茶色と黄色の比率が高いのです。

そうか、、、やっぱりオハイオの原住民は頭脳労働には向いていないのだなー、、、といつもの短絡的思考で物事を眺めてしまう私。

じゃ、オハイオ人は何に向いているのかな〜、、、我が社の本業である、「モノ作り」に向いているのか。それは全くの見当違いである事はオハイオ駐在12年の経験より、無数の実例をもって私は証明できます。

ウ〜ン、彼らの人種的得意技とは何なんでしょう。正直言って、これだっていうのが出てきません。トウモロコシつくりは得意みたいで、オハイオ中トウモロコシだらけです。牛とか馬を飼うのも得意そうです。

会社の連中をよ〜く観察してみます。
優れているかどうかは別にして、強いて言うなら少なくとも仕組みを作る、という発想が他の基本的な動作に比べて(あくまで相対的な比較の中で)高いような気がします。

仕組みつくりとは手続きの標準化です。又は複雑な事を単純化して誰がやっても同じような結果が出るようにする事と言った方が判りやすいかも知れません。

彼らを観察していると2つの特徴があって、一つは仕組みそのものを作るための対象物・事象に対して、具体的な見えるものを認識する能力はそんなに低くはない事(逆に言うと”推測する”という感覚は弱い)。もう一つは作った仕組みをきちんと守って使っていく継続・持続性が高い点の2つです。

この2つについてはいろいろと異論があるのは判っていますが、日常の中で彼等を観察したり一緒に仕事をすると、見習うといいなと思う点は結構あります。
この前、アメリカに於ける人を育てる仕組みについて、経験とか聞いたりした事を基にして、少しだけ考えてみました。
先ず最初に大きな仮定をしました。
それはアメリカ人達は自分達は凡人の集団である事を十分に認識している、という仮定です。

凡人の集団であるが故に自分達の国がより強く、そして自分達国民がより豊かに生活するためには、自分達のリーダーをどうやって見つけるか、どうやって育てるかという事が非常に重要になるので、これのための仕組みをきちんと持っている、と更に仮定を拡げます。

凡人であるアメリカ人の中にも突然変異的に優秀な人間が現れます。ですからこれを早く見つけ出して、芽を摘むことなく育てる、この仕組みが重要になります。具体的には極端な飛び級とか、特別な教育、経済的援助等です。これらは日本とは比較にならない充実した仕組みが実際に存在します。

このように育てたエリートをいろいろな分野でリーダーにして、国(政治・外交・経済)を引っ張らせるという仕組みは日本などより非常に強く感じます。

更にアメリカは凡人の集団であるからリーダーだけではなく、何かに秀でた人も大切にして育てる、という事も重要になります。いわゆるスペシャリストの事です。
ですからアメリカは何か違う人(事)を探し出す、すなわち違いを否定するという空気は希薄になっています。
(日本はいろいろな事について同じ型にはめようとし、これから外れる人は異端児として扱われます。これとは基本的に正反対。)かなり飛躍してきましたがいろいろな事実を照らし合わせると、この仮定はそんなに的外れではないと思っています。

極論するとアメリカでは皆と同じというのは何もできないという事を意味し、それよりも皆と何が違うのかが非常に重要になっている社会で、日本のような均質である事は良いことである、という考えは基本的にないと言えます。
アメリカでは何かに秀でている事は重要で、弱点を改善するより強みを見つけて、得意分野をどんどん伸ばす方に力点が置かれるというのは学校教育に端的に表れています。

事実、この突然変異的に出てくる何かに秀でた人間を見つけて、それらの人を育てていく仕組みがアメリカには存在するのです。育てていくというより、芽を摘まない仕組み、と言った方が正確かも知れません。

アメリカはこのようにして見つけた(育てた)特定分野に秀でた人と、それ以外の普通の人を組み合わせ、そしてそれらを引っ張っていく少数のエリートによって成り立っている、というのは頷けるる事です。
社会(国とか企業、その他の組織)がリーダー層、スペシャリスト層、それ以外の人、という具合に明確なヒエラルーキーを構成しています。(日本はこれを差別構造とか格差とか言って、否定的に扱われますが。)

アメリカはアメリカを存続させる基本的な仕組みがある。その基本は違いを認めること。これを日本と比較すると非常に大きな違いであると思います。

アメリカのこの仕組みは意図的に作られたのか、あるいはこうい仕組みが意図しない中で出来上がり、結果として強い国になったのか、どちらであるかはもう少し考えてみたいと思います。
アメリカはリーダーの能力次第で組織の能力が決まり、同じ組織でもリーダを変えただけで違う組織に変身するのを私は経験したことがあります。
日本のリーダーはどちらかと言うと調整型の人が多く、集団をグイグイ引っ張っていくタイプはあまり好かれない傾向にあるように思えます。

私の会社のIT部門のインド人のように、アメリカは必要であると感じたときは、他の国からでも人を引っ張ってくるという大胆な事をやる国でもあります。

一方、敢えて誤解を恐れずに言えば、私が携わる製造業(特に量産製造)というのは、複数の分野に対してバランス良く中くらいの均質な知識、技能、技術を持っている人の層の厚さで結果の優劣は決まります。
かつての日本はこのような中間層が強みだった。私は過去形を使いたいと思います。

元々大したリーダーもいない、そして強みだった中間層もいなくなった日本、これからどうなるのでしょうかね〜、、、。
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