06−12−18 帰国休暇(2)
母親の世話で10月末から日本に来ているカミさんの顔を久し振りに見て、ゆっくりと過ごす休暇。このような気分になったのは何年ぶりでしょうか。
今までも短かい日数の休暇を取った事はありましたが実家に帰っても身の置き所がなく、何か落ち着きませんでしたが今回はカミさんが日本にいるので何となく身を置くスペースのようなものがあり、落ち着く事ができるのです。

休み中は特別な用事は一つを除いてはこれと言ってありませんでしたので、朝からボーっとテレビを見たりコタツでうたた寝をしたり、知らない人が見たらきっと中年ニートみたいな感じだったかも知れません。

そんな訳で普段はあまり付き合わない買い物にも運転手としカミさんに付き合います。私が買い物に付き合う目的は、野菜や魚を見に行くのではなく、横にある本屋で本を立ち読みするためです。これだけはオハイオではやりたくてもできない事なのです。そして気に入った本があれば買うのです

本屋で気が付いたのは、「硫黄島」、と書かれた雑誌・本がやたらと目立つ事でした。そう言えばシカゴから成田に向かう飛行機の中でパラパラとページをめくった文藝春秋も、太平洋戦争末期の硫黄島の戦いが特集記事としてかなりのページが割かれていました。

梯久美子という作家が、「散るぞ悲しき」というノンフィクションで今年の大宅壮一賞を受賞したのと、硫黄島の戦いを日米の両方の視点で映画化されたというのはオハイオで読んでいる週刊誌の記事で知っていました。
でもこの映画の「硫黄島からの手紙」が既に公開されているというのは知りませんでした。
映画では渡辺謙が日本の硫黄島守備隊の総指揮官であった栗林忠道中将を演じており、監督は何とクリント・イーストウッドだそうです。

話題の焦点は3つ、硫黄島の戦いは太平洋戦争で唯一日本側よりアメリカ側に大きな損害を与えた戦いであり栗林中将という人がこれを指揮したこと、2つ目は栗林という人は非常に理知的・合理的な人であったこと、3つ目は栗林は非常に家族思いで、人間味に富んだ人であった事です。

立ち読みした雑誌には、栗林は1928年から3年間アメリカの騎兵学校に留学しニューヨーク州、テキサス州、カンザス州で生活し、その後2年間カナダの公使館附武官としてオタワにいたと書いてありました。
そうか、アメリカ・カナダの生活を30歳台の時にやっているのか、、、、私はここに興味を覚えて何冊かの雑誌を買って読んでみる事にしました。
栗林中将は当時の軍人としては異端的な、「理性派」、だったそうで、これはアメリカ留学で学び、そしていろいろな経験をした事による、と1冊の雑誌に書いてありました。(ここで言う理性派とは、精神論に逃げ込まずに戦力の不備を補うための戦術・戦略を練り上げるタイプの事、という解釈がついておりました。)

アメリカ生活の様子と感想を分かり易く伝えているものとして、息子に送った絵手紙の紹介がありました。これを見るとびっくりするくらい風景とか人を描写するのが上手なことです。
また栗林は非常に几帳面で、ユーモアーに溢れた人柄である事もわかります。

もう一つ興味深かったのは、栗林は留学中に当時最新流行のシボレーK型の車を購入している点です。アメリカで車を持つのと持たないのでは物理的な視野が1000倍くらい違ってきます。これは昔も今も同じだと思います。アメリカでは車がなければどこにも行けず、何も見れません。

ですからアメリカの3年間とカナダでの2年間の生活で見聞きした範囲は、当時の日本人の中では桁違いに広かったのではないかと想像します。今ではいざ知らず、昭和初期にアメリカで生活をして、車を自分で買って自分で運転していたというところは、驚きです。

アメリカで生活するといろいろな面で日本との違いを経験しますが、その中の一つにアメリカの合理性と日本の不合理性があります。
合理性と不合理性は論理を重視するか、しないか(或いは無視をする)から来ていると思います。

あまり詳しくは本HPの趣旨に沿わないので記述しませんが、「日本の不合理性」、は多分60年前の太平洋戦争時代と今でも本質的には変わっていないと私は思っています。(日本人のDNAだからそんなに簡単に変わる訳がない。)
身体半分をアメリカに置いて、残りの半分を日本に置いている我々駐在社員はこれがものすごくよくわかるのです。

そして合理性を追求していくためには現実をきちんと見なくてはなりません。アメリカ生活の経験があり、その中で見たアメリカの強み、そして建前と精神主義が強かった陸軍の中にいた栗林中将は何を考えていたのか、軍人としてのその答えが硫黄島での作戦指揮とその結果であったと思います。

今回の日本帰国休暇でのんびりと昼寝をしながら読んだ雑誌でこんな事を考えておりました。でも梯久美子著の「散るぞ悲しき」、を買ってくるのを忘れました。今度日本に行ったら買います。
カミさんと私が日本に一時帰国、上の娘も12月から愛知県に移動、下の娘は私の母親の家、つまり今回の一時帰国先から車で15分のところにおります。
普段はバラバラの生活をしている4人、この4人が一斉に集まる事ができるのは何年かに1度しかないのです。
イエ、集まりたくても集まれないのです。

そこで今回はこの機会を利用して親子4人で京都1日旅行をする事にしました。親子4人が揃って旅行をするのは1999年にフロリダのオーランドに行った以来で、それ以降は全て3人で誰か1人が欠けている状態だったのです。
旅行の日は16日の土曜日、下の娘が何か用事がありそうな事を言っていましたが、これもOKになりました。

当日は朝7時10分の近鉄特急に白子から乗って、9時20分に京都駅に着きました。
観光は2日前にバスによる1日観光をインターネットと電話で予約してあったので、これを利用しました。

この1日観光は6時間半で平安神宮、嵐山、金閣寺、清水寺の4箇所を廻るというものです。

私にとって京都は実に30年ぶりであり、カミさんも結婚前に妹と来たきりだから30年近くぶり、上の娘は学生の時に来たそうなので5〜6年ぶり。

下の娘だけは友人の結婚披露宴に参加するために3週間前に来たばかりという事で、いずれにせよ4人での久し振りの旅行です。

天気は晴れ、気温も高く、全然寒くありません。1日観光バスへの参加者は50名ほどで、最後まで集合時間等に遅れる人もなく、非常にスムーズに廻る事ができました。
またガイドさんも大変感じの良い人でした。

このガイドさんによると12月は観光客が少ないいわゆるシーズンオフで、シーズンに来ると身動きが取れない程混むため、12月のこの時期の観光はひょっとしたら穴かも知れませんとの事でした。
6時間半で4箇所というのは丁度いい感じで、以前は同じ時間で6箇所を廻っていたそうですが、あまりにも余裕がなく不評だったのでこうしたとの事でした。

帰りは5時15分の京都駅出発で鈴鹿に着いたのが7時ちょっと。食事をして家に帰ったのが9時でした。本当に久し振りの4人での旅行、大満足の1日でした。
本を読んだり家族旅行をしたり、夜は液体燃料を注入しながら娘達を前にああでもないと能書きを垂れているうちにそのまま寝込んでしまったりの一時帰国休暇。
あと2日でみんなと別れてオハイオに帰らなくてはなりません。

さて今度はこんな機会がいつあるのでしょうか、、、、、。
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