06−10−12 あっという間の3週間
私は台所で料理をするというのができません。一口で料理をやらない・できないと言いますが、人によって実はいろいろなシチュエーションがあると思います。

・料理自体をやる気がない、興味がない、料理は自分以外の誰かに任せて自分は出されたものを食べる、という習慣が骨の髄まで染みこんでいる人。

・ちょっとだけやってみたけど、料理をするという事に関して自分には向いていないと判断した、面倒だと思ってしまい止めてしまった、或いは努力・工夫することを簡単に放棄してしまった人。

・やってみたいとぼんやりと頭の中では思っているけど、まだトレーニングを開始していない人。多くの場合、実行に移すための必要性に迫られていないという人。

私の友人の中のKさんは料理学校に通ったというし、先日早期退職をしたMさんは趣味の一つが料理という事で、日本に行くと私に手料理を振る舞ってくれるし、どうも最近男の手料理というのが結構盛んになっている雰囲気です。

新聞でも盛んに男も台所仕事をすべきである、というような記事が目につきます。
「そうかー、男子厨房に入るべからず、というのは最近は流行ではないのか、、、、。」

Mさんに言わせると、「旨い酒のつまみ(肴)を自分で作って、それで一杯やるのが楽しみ。」、だそうで、この前Mさんのお宅におじゃまをしたら、料理屋顔負けのなめろうを出され、唸ってしまいました。

そして何よりも、私自身が将来ずっと家にいるという状況になった場合、料理ができる、料理をする、という習慣がかなり重要、という本を読んでから料理をするという事を、真剣に考えるようになっております。

という訳で以前からカミさんに、オレも料理を覚えたくなったので教授して欲しい、と小声で言っており(この小声で言う、という精神自体がダメなのですが)、気が向く都度一つ二つと簡単な料理(実はまだ料理と言える程のものではないのですが)を覚え始めております。
そのような中、先週の日曜日は肉じゃがに挑戦をしてみました。
私の場合、料理をするというのは酒の肴を作る、というのと同義語である関係上、煮物・揚げ物・焼き物の3つの領域でそれぞれ何種類かのレシピがいずれは欲しいのですが、全く経験無しの状態なので一番簡単そうな煮物に挑戦してみる事にしました。

煮物と言っても何のことはない、何の変哲もない肉じゃがです。
カミさんにあれこれ指図されながら、そして横からは日本から来ている上の娘の視線を浴びながら、つまり左右から2人に囲まれて肉じゃがの調理開始です。

肉じゃがはあっという間に出来上がりました。こんなに簡単にできるとは思いませんでした。
そうだよなー、、、よく考えたらジャガイモ・タマネギ・ニンジン・インゲン、それに豚肉を油で炒めて、醤油・砂糖・塩・酒で味付けするだけだもんナー。

という訳で、カミさんと娘の拍手を受けながら出来上がった肉じゃがを皿に盛って、この日はこれで軽く一杯を頂きました。

この肉じゃがというのは明治初めに東郷平八郎がイギリスに7年間の留学をして帰国し、イギリスで食べたシチューのクリームと塩の代わりに、醤油と砂糖で料理をさせたのが始まりという話があり、半分本当だそうです。
(つまり肉じゃがのオリジンは洋食なのです。)

この料理は日本海軍の中で正規のメニューとして使われ、料理名は「甘煮」で、肉じゃがと呼ぶようになったのは何と昭和48〜9年頃からだそうです。
ところで肉じゃがって醤油と砂糖の代わりにカレールーを入れれば、立派なカレーですよね。そうか、カレー、クリームシチュー、肉じゃがは親戚なのですね。納得です。
オハイオに来ていた上の娘、滞在予定の3週間があっという間に過ぎ、本日のフライトで日本に帰ってしまいました。娘は今の仕事を変えると言うことで、仕事に就かない時期ができたので、これを利用してオハイオに来たのでした。

私がオハイオに単身で転勤したときは、娘はまだ高校生でした。それから10年と5ヶ月、娘とは一緒に住むことなく日本とオハイオで別々に住んで暮らしてきました。

この間、7〜8回程度オハイオに来てそれぞれ数週間はオハイオで過ごしました。
私が日本に行った時は時間を見つけて会うようにしていますが、いずれにせよそれぞれ非常に限られた時間であるのは確かです。

私の友人で生まれてからずっと息子・娘達と一緒に暮らしているという人が何人もおり、時々羨ましいナー、と思うことがあります。
別々に暮らしていても日本国内、いえ、せめて日本近辺の諸国だったらいいのにナー、と思うこともあります。
オハイオと日本を往復する度に、やはりオハイオは遠いナーとつくづく思います。

下の娘も日本でやはり一人で生活をしています。私の母親は身体が不自由になり、一人での生活が段々無理になりつつあります。
という事は、ひょっとしたらカミさんが帰国をして、私がオハイオで単身生活という事もあり得る状況です。そうなると私、カミさん、娘2人のそれぞれ4人が4つの生活をする事になります。

今日の朝、コロンバス空港まで娘を見送りに行き、そんな事を考えておりました。何を取って何を犠牲にして生活をしていくか、そろそろ真剣に考えなくてはならない時期に来ているのは確かです。
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