06−07−08 大西部への旅−2
5日間のSダコタからワイオミング、そしてユタまでの1800kmのバス旅行は終わりました。幼児を含む42名という大きなグループ旅行でしたが、事故もなく団体行動を乱す人もなく、スムーズだったと思います。
一度だけグループの小学生の女の子がイエローストーンの中で休憩したときに危うく車に轢かれそうになりみんな、「キャー!!」、でも間一髪、大丈夫でした。

ロッキー山脈の東に広がる、この広大な地域はやはり言葉では言い表せない、自然を感じました。我々はバスに乗ってある時は時速120kmで移動をするわけですから5日間で広大な地域を回る事ができました。
でも昔の開拓者達は時速6kmくらいで馬に乗って、又は馬に引かせた馬車に乗って移動をしたのだと思うと、「大変」、という表現を越える事ではなかったかと思います。

それと何と言っても、考えさせられたのはこの国の先住民と侵略してきた白人の関係です。
ズバリ、白人はこれら先住民を人間として扱って来なかった、イエ、今でもその片鱗は残っている感じです。

アチコチで先住民族であるインディアンの素晴らしいアートを見ました。
独特のデザインの壺とか飾り物を私も買いました。アートは利害とは関係ありません。
みんな(多分)はこれらのアートを見て感嘆し、彼らの一部を理解したような気になります。

しかし人種問題、土地の問題、教育問題等の正直言って我々にはよく見えない部分について、多くの白人は過去に何があって、今どうなっているのか知っています。

インディアンの人達は侵略者である白人よりももっともっと鮮明に覚えているし、今も闘いをしているのです。

実は私はアメリカの歴史に非常に興味があり、いろいろと文献を調べ始めています。
調べれば調べるほどアメリカ社会の複雑さ、白人と先住民の関係、州によって大きく違う文化・風習、いろいろと非常興味深いものがあります。

白人はこの大西部に何を持ち込んだのか、、、、、白人はこの西部に、酒と銃と馬と病気とそして殺人を持ち込んだ、、、、そして、、、、。

もちろん今回の西部のバス旅行で、このようなアメリカの歴史の深層部を知る事はできないし、期待など全くしていませんが、只しかし、そこを訪れる事により今まで頭の中に描いていた西部の「イメージ」、がほんの少しだけ具体的になったのは事実でした。

以上、これ以上の講釈は本HPの主旨に合いませんので、これにておしまい、、、、でーす、、、、。
さて、今回の旅行で何がよかった?どこがよかった?ってよく聞かれます。
私:全部です。
質問者:それじゃ答えになっていません。

ウーン、、、、、、やはりグランド・ティートンかな。
理由は単純です。映画シェーンの最後のシーンのジョーイ少年の、「シェーン、カムバック!!!」、のラストシーンのグランドティートンの山々と、あの丸太小屋を見たことです。

丸太小屋はもちろん映画に使われたものではありませんが映画に出てくるのと同じような小屋のある場所に連れて行ってくれました。
そうか、、、、たしかこんな風景だったな、、、、映画を始めて見たのは確か中学生の時、、、、主題歌をテープレコーダーに録音して何度も何度も聞いたナー、、、、、アランラッド扮するシェーンはかっこよかったナー、、、、、

40年前にグランドティートンの麓に自分が立てるなんて想像もできませんでした。
西部の山々は映画だけの中の世界でした。グランドティートンの姿はあの映画と同じでした。
私は感無量でありました。

「シェーン、カムバック!!!」、ジョーイの呼びかけに答えず、グランドティートンの山に向かって馬に乗って去るシェーン、、。

ところでシェーンは少年の元を去ってどこに行ったのか?あの後、こっそり町に戻ったのか?確かシェーンはケガをしていたから医者のところに行ったのか?

グランドティートンの山の向こうはアイダホです。アイダホと言えば、そうです、ジャガイモです。イモ・イモ・イモだらけの州であります。
ライカー一味(違ったかな?)をやっつけたシェーンは、グランドティートンを越えてアイダホに向かったのであります。

つまりシェーンは拳銃を捨てて、ガンファイターから足を洗いたくて、アイダホのジャガイモ畑の農家に就職し、一生アイダホのイモ畑で働いたのであります。
という説明をバスのガイドさんがやってしまいました。

バカモン!!私はこの時、マジ、少々怒ったのであります! シェーンはアイダホのイモ畑農家の就職試験を受けに行ったのではない!シェーンは、、、シェーンは、、、エーと、、、、シェーンは、、、さて?、、、どこに行ったのだろう?

実はシェーンはジョーイ少年の見送る中、未だグランドティートンの山に向かって歩き続けているのです。
ずっと歩き続けているのです。1953年に作られたこの映画、今日見てもシェーンは山に向かって歩いています。既に53年間歩いています。
グランドティートンの南のジャクソンホールというところで、安物のウエスタンショーを見た翌日ケンモアというところで化石堀をやりました。
大西部の山奥をちょっと掘り返すだけで魚の化石が出てくるのを体験すると、大昔はここも海だったのだなー、というのがわかりました。

このバス旅行の最終到着地はユタ州のソルトレイクシティー、冬季オリンピックと何と言ってもモルモン教の総本山という事で有名な町です。旅行を始めて5日目の夕方、ソルトレイクシティーのホテルに到着しました。

ソルトレイクシティーに来て何を一番心配したか?それはこの市は禁酒であるという事でした。

私の持っている観光案内所には、飲む人はお酒を持参すること、と書いてありましたのでウイスキーの小瓶を大事にスーツケースの中に入れて、備えてきました。(ここに来るまでに半分くらい飲んじゃいましたけど。)

ところがガイドさん曰く、「飲めます。」、なのです。ナーンだ、大事に大事に持ってきたのに。

禁酒の町でホテルの部屋でこっそりと(別に堂々とやればいいのですが)飲むウイスキーの味はどんなものかな?と密かに楽しみにしていたのですが、これはパーになってしまいました。

ホテルはモルモン教の総本山の建物が密集しているテンプルスクエアーという所の真横です。
モルモン教というのは私はよくは知りませんが、キリスト教の一派という見方が一般的なようですがいろいろと独自の宗教的解釈、風習等で信者は迫害を受けてきたそうです。

その夜はツアーで一緒だった、実は取引先のある会社の北米本社の社長さんご夫妻と、日本から来た奥様の友人の3人とご一緒し、日本レストランに行きました。
ソルトレイクシティーには日本レストランが何と5〜6軒もあるのです。ここでしこたま飲んでしまいました。
味の方は、少なくとも日本人相手の日本食レストランではない事は確かなので、絶句するまでには至りませんでしたが、相当なものでした。

全行程6泊7日の私達にとって始めての大西部の旅。
やはり1回目はザッと見るにはこのようなバスのパックツアーも悪くはありませんが、この次は自分で車で回りたいと思いました。
気の向くままに、気の済むまで一カ所ずつ見て回る、そんな大西部の旅を早くも考え出しております。
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