06−06−12 11年目のオハイオ
私は1996年6月12日にここオハイオ、コロンバスの空港に到着、オハイオ生活を開始しました。2006年6月12日の今日、私のオハイオ生活は丸10年を過ぎ、11年目を迎えました。
3年、5年はあっという間でした。7年経った時は、「そうか、もう7年か、、、」、とちょっとだけ感慨を覚えました。10年を過ぎた今日の感想は、正直に言うと、「こんなに長くいるとは思わなかった。」、です。
ここのご主人の握寿司はイケマス
日本にはかなり頻繁に行っているものの、いろいろな面で浦島太郎を感じる時があります。
あと何年オハイオにいるのかわかりませんが、何かの縁があってのオハイオ生活、変化に乏しい生活ではありますが、1日、1日を大切にしていきたいと思うようになりました。

そんな訳で、一昨日の土曜日、オハイオ10年を記念してカミさんと日本レストランに行って、記念の食事をしてきました。2人なので寿司のカウンターに座って一杯、二杯。

寿司を握っている店のオーナーにそれとはなしに聞くと、アメリカ生活は32年。既に人生の半分以上がアメリカです、と言って見えました。
この32年間日本に帰ったのは、数回だとも言って見えました。

かなり酔っぱらった頃、離れたテーブルを見ると、Sさんが家族で食事に来ている姿が見えます。Sさんは今月一杯で5年の駐在期間を終えて帰国します。帰り際に挨拶をさせて頂きました。

32年目の日本レストランのオーナー、11年目の私、5年で今月一杯で帰国のSさん。いろいろです。
オハイオに来て、11年目を迎える私。今日の朝、牛乳を冷蔵庫から取り出して、ナゼかふと子どもの頃の事を思い出しました。(うんと昔の事を思い出すというのは、やはり歳かな?)

私が小学生の2年生だったか3年生だった頃の昭和30年代半ば、皇太子殿下(今の天皇陛下)のご結婚を境に日本の一般家庭にテレビの普及が始まりました。それと同時にアメリカの様子がファミリードラマ等を通じて一気に日本に入ってきました。
テレビを通じて知るアメリカの家の広さ・清潔さ、大人の背の高さもある冷蔵庫、そこに入っている食べ物の豊富さ、自動車がある生活に目を丸くすると同時に、もの凄いインパクトを感じたのをよく覚えています。

特に印象に残っているのは、家族の食事風景の中で、とてつもない大きなガラス瓶(当時そう思った)から牛乳をコップに注いで、それを子どもがグイと飲んでいる事でした。羨ましくて仕方ありませんでした。
当時我が家では1合瓶(180cc)の牛乳を2本配達してもらっており、父が1本飲んで、私と妹が1本を半分づつ飲んでいました。母親の分はありませんでした。

それから35年後、オハイオに来た私は、私にとって豊かさの象徴である、この大きな瓶牛乳を探しました。でも私は見つける事ができませんでした。日本と同じように牛乳は紙パックか、大きいのはポリタンクに入ったのしか売っていませんでした。

ところが私はこの牛乳瓶を、意外なところで見つけました。あるアンティックショップです。ありました。milk bottle と書かれて、瓶のコレクションのコーナーにありました。いろいろなサイズが置いてありました。やはり大きいのはビール瓶(大瓶)くらいの大きさでした。

驚いたのはアメリカでもあの小さな1合瓶(180cc)サイズの、かわいい瓶があった事でした。大きな瓶と比べるとこの1合瓶は何と小さい事か。まるで当時のアメリカと日本の国力の差を表しているかのようでした。

私はこの小さな瓶を見て、45年前の自分と家族を思いだしてしまいました。
今の私はその時の両親よりずっと歳を重ねてしまいました。父は3年前に他界し、父と私と妹だけに牛乳を飲ませて、自分は飲まなかった母親は今、日本で寂しく一人で生活しています

大きなガラス瓶の牛乳に、アメリカの豊かさを感じた私。その私もアメリカに来て、10年が経ってしまいました。
今日の夜、帰宅するなりカミさんが、「バックヤード(裏庭)の向こう側の家がウチのフェンスに繋けてフェンスを作った。」、と言うではありませんか。
今頃の季節、オハイオは夜9時を過ぎても明るいので、早速バックヤードまで回って、そのフェンスを見にいきました。

やはり新しいフェンスは私の敷地に入り込み、私のフェンスのところまで伸びて作られているではありませんか。
私の家のフェンスは隣との土地の境界線の内側10フィート(約3m)のラインに作られています。ですから私の家のフェンスのところまで伸ばして作ればこの1辺の20mX3mが隣の敷地になってしまうのです。
黒い斜線の部分が浸食された私の土地
20mX3mと言えば60uの土地が、相手側のフェンスで取り囲まれ失う事になってしまいます。何という事をしてくれるのだ!これは一大事です。

この家は借家で、今は誰も住んでいません。きっと新しく入居者が決まったので、その要望でフェンスを作ったのでしょう。
(犬を飼っている人はバックヤードで犬を遊ばせるためにフェンスを作る事が多い。)

早速お隣のSさんにこの家のオーナーを知らないか、お尋ねをしました。お隣のSさんは日本人で、家は借家なので、もしかして同じオーナーではないかと思ったからです。
SさんはSさんの知り合いの人に聞いてくれました。

・オーナーは非常遠くに(州外?)住んでおり、直接コンタクトはできない。
・但し、その家の近くにこれらの借家(やはりこのオーナーは何軒もの借家を持っている)の修理とかの面倒を見る人が住んでいる。名前はJさんと言い、電話番号はわからない。


ここまでを教えてくれました。恐らくこのフェンス工事も、このJさんという人が実際は発注したに違いありません。
こういう事は即行動に移す必要があります。時間は夜の10時、さすがのオハイオも空は暗くなっていますが教えてもらったJさんの家に早速行ってみる事にしました。

教えられたJさんの家は一旦大通りに出て、ぐるっと回っていかなくてななりませんので、車で行く事にします。
Jさんの家の前に車を止めて、玄関から呼び鈴を押しますが返事がありません。家の中からは犬の鳴き声がするだけです。こんな夜なのにJさんは家にいないのです。

既に10時を過ぎています。この日の行動は諦めて明日もう一度考える事にします。
しかし参ったなー、、、、。オハイオ生活11年目スタート初日のトラブル、こりゃ縁起が悪いナー、、11年目は。
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