06−01−12 平穏な1月の風景
会社での仕事は内部・外部とのコミニケーションのツールとしてメール・電話等が使われますが、電話は3つの回線を1台の電話機で使えるようにしてあり、私の電話はアメリカ人のEさんというマネージャー宛の電話も取れるようにしてあります。つまり私宛の電話もEさんの電話機でベルが鳴るようにしてあるという事です。

Eさんが席にいない時は私が代わりに電話を取る時がありますが、実はEさん宛の電話、奥さんからの電話が非常に多い。毎日とは言いませんが私だけで1週間に何度も取る事がありますから相当多いのは間違いありません。
電話を取ると、「Is E there?」というぶっきらぼうな女性の声がするので直ぐにわかります。

何の用事があるのかわかりませんが、とにかく多い。一度なんか、「エマージェンシーよ。早く呼んで!」、という興奮した声。「今、ここにはいませんよ。後で電話するように伝えます。」、と言ったら、「エマージェンシーと言ってるのがわからないの!」、とか叫んで、その後「ギャー、ガー、ビー!」、って獣みたいな声で叫んで電話をガチャンと切りました。

これにはこっちがびっくりしました。日本だったら奥さんが会社に電話かけて旦那を呼ぶというのは、本当に何か緊急の場合だけで、Eさんの場合一体何の用事なのか、検討がつきません。

4年ほど前まで同じ職場にいたTさんも、5時を過ぎると奥さんからよく電話が掛かってきました。
「Tはいますか?」
「イエ、もう帰りました。」
「本当ですか?何時にオフィスを出ましたか?」
「さあ、5時少し前だと思います。」
「、、、、、、、」

この奥さんは、旦那が実際に会社を出た時間を知りたがっていたようでした。出た時間と帰宅時間に差があったのかなー、、、、ちょっとだけ理由を考えた事はありましたが、アホらしいので止めました。
昨日は社内のある事務所に。私の会社は数十キロの範囲に施設が分散しておりますので、用事がないと何年も行かない事務所とかが一杯あります。と言うより、行った事のない場所の方が多いかも知れません。

そんな中で昨日、4−5年振りにある事務所に行ったらオハイオ人のCさんにばったり会い、お互いにヤアヤア久し振りと手をとって再会を喜ぶという、周りの人が一瞬何が起きたのか訝しがる光景が繰り広げられました。
Cさんと私は随分前にブラジルに出張、珍道中を繰り広げた仲間でした。
行ったのはブラジルのサンパウロの北100kmくらいのSという大きな街です。

Cさんはコロンバスからサンパウロまでの飛行機の中、ずっとポルトガル語の会話の勉強をしていました。
横から覗くと、「アナタはキレイだ。」、とか、「一緒に食事をしましょう。」、とか目的がかなり限定された会話ばっかりで、口の中で何度も何度も繰り返していましたっけ。
もちろん普通の会話も勉強していたように記憶していますけど。(普通じゃない会話って何だ?)

ところがこのCさんの速成のポルトガル語会話、あちこちでもの凄く役に立ちました。

Cさんは西部劇のシェーンに出てくる少年の顔をちょっと長くして、目を細め、身長を180cmくらいにした風貌(ここまで変えると、シェーンの少年とは関係ない顔になってしまいますけど)で、愛嬌がある、どこから見てもオハイオ人そのものの40才ちょっとの男です。

会社に着いて受付で、その会話の本を取り出して、ニコニコしながら挨拶のところを読むのです。受付の女の子は一瞬キョトン。でもすぐに満面の笑顔になって、応対をしてくれます。

会議を始める時もCさん先ずその本を出して、ニコニコしながら棒読みの挨拶をポルトガル語でやります。ブラジル人の皆さんも最初はキョトン。でもヤイノ・ヤイノの拍手喝采。

仕事が終わってレストランでもウエイトレス相手に、ニコニコしながらその本を読みます。ウエイトレス、顔を赤くして注文聞いていました。何て言ったのかナー。
その後バーで一杯。やっぱりその本を取り出して、ニコニコしてポルトガル語を読みます。隣にいる初対面のご婦人にも同じ事をやります。またまた盛り上がって楽しく2杯、3杯と杯が進みます。


出張中の1週間ちょっと、ずっとこれで通しました。なかなかすごいオハイオ人でした。
でもアメリカに帰る前日、サンパウロ市内の土産物屋で支払いをしようとしたクレジットカード使えないと言われたとき、さすがのCさんも焦ってポルトガル語の会話の本は出す余裕がありませんでしたけど。

そんなCさんと久し振りの再会、別れたあと私はニヤニヤしながら歩いていましたから私を見た他のアメリカ人、きっと変な日本人って感じだったでしょうね。
先日本社のIさんからメールがあり、久し振りにオハイオに来るとのこと。文面の最後に何か持っていくものはありますか?という質問がついておりました。
せっっかくの好意なのでありがたく受ける事にして、本を2冊ほどお願いをしました。

日本の本は売っている店がありませんので、定期購読の月刊誌2冊と週刊誌以外は全て日本に注文をしなくてはなりません。新聞の新刊紹介の欄とかを見ていると、読みたいナーという本が一杯あります。
直ぐに読みたいナーと思うときはEメールで注文をします。大体2週間くらいで送られてきます。

Iさんにお願いをしたのは月刊誌1冊と季刊誌1冊でした。「考える人」、という季刊誌は偶然に週刊誌の広告で見かけたもので、今まで知りませんでした。冬号のテーマが、「1962年に帰る」で、関川夏央とか和田誠とか伊丹十三とか養老孟司とかの名前を見た瞬間読んでみたくなったのでした。

1962年というのは私は小学生でした。でもナゼか鮮明にいろいろな事を覚えている時なのです。当時の写真とかも一杯残っております。なつかしい限りです。

ではこれらの人達は当時をどのようの評しているのでしょうか。今考えると、1962年までは日本はまだ敗戦復興的雰囲気が残っており、これと完全に決別した時が1964年、東京オリンピックではなかったかと思います
ですから1962年というと、その寸前の時代なのです。

さあ、どんな本が手元にくるのでしょうか。ウキウキです。
今日の帰りメールボックスを見たら、年末に注文してあった本が日本から届いています。あれ、何だったっけ?イカン、イカン、自分の注文した本を2週間で忘れているのですから。
さっそく袋から取り出してみると今冬二著の「定食バンザイ」、という本です。

ああ、これか、ベッドに入ってから5分くらい毎日読むのに丁度いいと思って注文した本でした。
筆者の安くてウマイ定食を探す執念と、その批評はなかなか面白いのです。実はあるHPに書いていたのをまとめて単行本にしたという事で、内容は本を買う前から知っておりました。

定食の3要素は、「飯、汁、おかず」、だそうで、これのバランスが取れており、サクサクとご飯が進み、午後の仕事に確実に差し支えるまでの量が胃袋にずっしりと入らなくてはなりません。
そして筆者の定食に払う値段はMAX700〜800円、500円以下なら文句なし、というものです。


こんな感じで書かれている本、私としては読まないわけにはいきません。
で、こんな店が今時あるのか?それが東京でも無数にあるのですね−−−、この本によると。

さて、2月に日本に行くから、また本をたくさん買ってくる事になります。11月に日本に行った時の読み残しの本がまだ2冊あったなー。最近読む本の量を買う量の方が上回っている感じです、、、、、。
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