05−12−02 私の玩具
現在私のところに日本から4名の出張者が来て仕事をしてくれています。100名の所帯に4名の日本人が一時的にせよ増えるというのは何かと心強いものがあります。

その中のある人に、「どうですか、こうやってアメリカで仕事をやる事の感想は?」、と聞いてみました。すると即座に返ってきた答えが、「英語ですね、本当にもう少し英語ができたらもっといろいろと出来るのですが、、、、、。」、と言葉の問題を真っ先に上げられました。

確かにアメリカで仕事をやるためには英語は重要なツールです。この人も中学・高校・大学と少なくとも8年〜10年間は英語を勉強してきているはずです。でもやはり言いたいことの半分も言えないし、聞けないのでしょう。

「日本はTOEFLでしたっけ?これのレベルでアジア諸国でケツから2番目だそうですね。ビリは北朝鮮ですから、これは別として、実質的にビリなのですね。これじゃ、グローバルな仕事に支障が出るのは確かですね。」

私はこのほんの2週間前に読んだ本の事を思い出していました。Fという数学者の書いた本ですが、その中に最近の英語教育について意見が述べられておりました。
・英語を小学生から教育するなんて、そんな1週間に2−3時間やったって、うまくなる訳がない。
きちんとした先生のもとに10時間もやれば少しは上達するだろうが、そんなことしたら英語より重要な国語とか、算数がおろそかになって、大変な事になる。

・先ず、日本語できちんとものが考えられるようになる事が先決。少なくとも一つの言語で十割の力がないと人間としてまともな思考ができない。言語と思考は殆ど同一と考えてよい

・日本の公立小学校は一人前の日本人をつくる教育機関だから、先ず英語ではなく日本語を最優先して教えるべき。日本人として何をどう教えたらいいのか、これを真剣に考えたら日本語教育の強化である事は誰の目にも明らか。日本語が全ての学問の基礎である。

・日本人が英語が下手な理由は二つ。
一つは英語が日本語とあまりにも異なる言語であること。もう一つは日本に住む日本人は日常生活で英語を何ら必要としていないこと。母国語だけで済むというのは植民地にならなかった事の証、むしろ名誉なこと。

(英語はアメリカという現在の世界の侵略者の言葉だから、しょうがない、学ばなくてはならない、とまで言ってみえます。これって、殆ど御意です。
アメリカの価値観で日本は動いているように思えてなりませんから。)

この先生ももちろん英語ができるようになるのは非常に大事なことであると明言されております。アメリカとイギリスの大学で何年間も教鞭を取られています。
でも今のやり方は間違っている、という意見を述べているものでした。特に小学校で英語を教えることに反対をしてみえます。小学生の英語は、ピアノや習字を習う子がいるように、課外学習・その家庭の方針として習わす、という事にしておくべきであると締めくくられておりました。
今の会社の駐在員できちんとした仕事ができる人と、そうでない人を観察してみると、英語能力は殆ど関係のない事がわかります。勿論英語力がゼロでは話になりませんが、少なくとも高校1−2年レベルの英語ができていればコミニケーションは十分に成り立つと思っています。

では何が重要なのかというと、

1.その人個人が持つ仕事そのものの能力
2.あるレベルの論理性論理的な思考力
3.人間としての魅力・人間性のようなもの

この3つのバランスがとれている人が、うまく仕事をやっているという印象を、私は受けています。どれかが著しく欠けてもダメです。上になればなる程、2つ目、3つ目の条件が重要になるのは当然です。
この3つの条件は、よく考えてみるとアメリカ人とうまく仕事をするための条件であると同時に、日本人同士でうまく仕事をする条件と同じです。

日本からの出張者の方が、これらの3つの能力が劣っている事は決してありません。むしろかなり上です。
ただ問題は、これらの3つの事がアメリカ人にまだ伝わっていない、だからうまくいかないだけだと思っています。

アメリカ人の多くは日本人に対して積極的にコミニケーションをとろうとはしません。(理由はいろいろとありますが、ここでは省略。)
ですから、その日本人がどういう人であるか、アメリカ人に伝わるのにはかなりの時間がかかります。1年以上、3年くらいかかる人もおります。上の1,2,3と英語力は基本的は関係ありません。

何が言いたいのかと言いますと、Fという数学者が本に書いている事は私レベルでの経験からでも間違ってはいないという事です。
つまり国際人として活躍できる人を育てるのは英語教育の強化ではなく、個人個人の人としての能力の強化が大切なのです。小学生に英語なんか教えるより、他に教える事があるだろうが!というのは正しいと思います。

皆さん、言葉の問題は気にしないで下さい。そんなに言葉が最初からペラペラできたら、私なんか立つ瀬がありません。だって10年経ってもこのレベルですから。
この前に日本に行ったとき、とうとう新しいデジカメを買いました。これで3台目のデジカメです。
1台目はオリンパスのC−820Lという80万画素のカメラで98年の正月に買いました。2台目は01年にIXY200というカメラを買いました。

1台目では約5000枚の写真を撮り、2台目では7500枚の写真を撮りました。2台目を買った時には、そのコンパクトさに目を見張りましたが、3台目は更に小型になっています。
IXY200は小型でしたが、シャツの胸のポケットに入れるにはちょっと大きすぎました。

ところが3台目のIXY60というのはうんと薄くなっており、胸のポケットに収まります。

今回IXY60を買った理由は、IXY200のあちこちが物理的にガタガタになってきており、いつ壊れても不思議ではない状態になったからです。
それと4年も同じものを使っていると少し飽きてきていたからです。

実はIXY60は最新型ではなく、IXY700というのが最新型で約10000円高でした。
店員に聞くと、大きな違いはありません、との事だったので安いのを買いました。

予備のバッテリーを2個買おうとしたら、
「1個でいいと思いますよ。もし足りなければ後で買えばいいじゃないですか。」
というアドバイスでしたので予備バッテリーは1個にしました。

メモリーカードも1GBを買おうとしたら、「動画を撮らなければ512MBで十分です。」、というアドバイスでこれも店員さんに従いました。

そんな訳で2台目も200万画素なのでまだ現役です。但し、荒っぽい使い方ができない、「老人カメラ」、なので室内専用で余生を送らせる事にしました。
3台目もやはり4年くらいは使うことになるのかなー。手の中にすっぽり入る新しいこのカメラ、気に入っています。
私はどこかに出張したり旅行に行ったりするときに必ず持ち歩いている玩具がいくつかあります。仕事で使うものではありませんが(ICレコーダー以外は)、使い方によっては結構便利なものです。

(デジカメ)
旅先で目にする風景、人々の生活の様子、今までに見たことのないものが目に飛び込んだ時には躊躇なくシャッターを切ります。大事なのは予備のバッテリーを必ず持ち歩くことです。新しく買ったカメラは本当に小型なので、今まで以上に機動性を発揮できそうです。

(ICレコーダー)
これはメモ代わりに使います。メモというのは普通手帳とペンを使います。
これって何かパッとメモを取りたいと思った時は意外と面倒なものです。
こんな時はメモにしたい内容を声に出して、録音しておき、後でそれをキチンと手帳なりPCに記録します。

今まではマイクロカセットのレコーダーを使っていましたが、これが壊れたので、ICレコーダーを買いました。
電池込みで57グラム、録音時間が17時間というすごい性能です。

(超小型全波ラジオ)
長期出張の時、プライベートの旅行の時に持って行きます。
AM放送、短波、FM、その他1200MHZまでの全部の電波が受信できます。400チャンネルのメモリーがあり、行き先の放送とかの周波数を予め調べて入れておくと非常に便利です。詳細の使い方は省略。

(単眼鏡)
実際にはあまり使いませんが、知らない所で遠くの看板の文字を確認したりする時に使います。プライベートの旅行には小型の双眼鏡を持って行きます。これも最近リニューアルしました。(もちろんNIKONです。)

(ビデオカメラ)
普通の仕事の出張では持っていきませんが、初めて行くところには持って行きます。この前北京に行った時に持って行きましたが、何と予備のバッテリーを忘れ、苦い経験をしてしまいました。
私のカメラはミニDVDに録画していくタイプなので、後の編集とか、取り扱いが非常に楽です。

という訳であまり必要のないようなものも含まれていますが、玩具と考えればいいのではないかと割り切っております。使用頻度から言いますと、デジカメ、その次がICレコーダーかなー。

何才になっても、このようなものを集めて遊びたがるのですね、私は。
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