05−11−18 長い1日

早いもので父が03年11月に亡くなって丸2年になろうとしています。つまり今月は三回忌になる訳で、この法要のためにプライベートで休みをもらって一時帰国をしました。
オハイオから日本は、これまでも何十往復もしていますが、今回直接に故郷に行くので成田ではなく、目的地はセントレア中部新国際空港までです。

今年になってJALのシカゴ、成田間のフライトが1便増えて2便になりましたので、増便されたシカゴを午後出発する便を使うことにしました。これですと、コロンバスを朝の10時頃のフライトで十分に間に合うため、朝5時とかに起きなくても済みます。

が、私はやはり5時きっかりに起きました。どうしてかと言いますと、前の日に荷造りが終わっていなかったので、スーツケースに必要なものを詰め込む作業が残っていたからです。
昨夜は緊急の日本とのテレビ会議があり、家に着いたのは夜中の11時を回っており、結局寝たのは日が変わった午前1時半で、液体燃料を注入したらこんな夜中に荷造りなんか全くする気がなくなってしまったのです。

出発の朝にバタバタとスーツケースに必要なものを詰め込み、7時45分に家を出ます。空港までの30kmあまりのドライブ、さすがにこの時間帯は道路もかなり混んでいます。
でもガンガンぶっ飛ばして20分ほどで到着です。

車を駐車場に入れ、シャトルバスに乗って、空港の発着ロビーまで行きます。
バスに乗る時は運転手が荷物をバスに入れるのを手伝ってくれる時がありますので、この時は$1くらいのチップをあげます。

空港に着くと、チェックインカウンターでチェックインをして搭乗チケットを受け取り、搭乗ゲートまでスーツケースを引きずってトボトボ歩きます。

午前10時1分発のシカゴ行き、ほぼ満席です。
離陸をした後、持ってきた本を読んでいると斜め後ろの席にいた東洋人の年配のご婦人が、「あのー、日本人の方でしょうか?」、と声をかけてきました。

この方、今回アメリカは初めてで、来るときは迎えがあったので問題はなかったのですが、帰りは一人なのでJALのカウンターまで連れて行って欲しいとの事です。

「私もJALに乗りますので、ご一緒しましょう。安心して下さい。」

飛行機はコロンバスを30分以上遅れての出発です。午前11時30分の午前の成田行きのフライトに乗るこのご婦人、乗り継ぎの時間が殆どありません。
このままいくと5番ターミナルのJALのカウンターには10時50分くらいになりそうです。大丈夫かナー。

この方、Kさんというお名前でコロンバスに住んでいる息子さん夫婦の出産のお手伝いに、わざわざ埼玉からお見えになっていたとの事でした。

「オハイオは本当にきれいな所ですね。本当にいいところですね。」、と何度もおっしゃって見えました。

到着は2番ターミナルですから、国際線の5番ターミナルまではシャトルトレイン(電車)に乗らなくてはなりません。
そして到着ゲートからシャトルトレインの駅まで、空港内を相当な距離歩かなくてはなりません。
シャトルに乗って、5番ターミナルまで。

カウンターの手前で案内をしている係員に、この方の優先手続きをお願いしてあげました。

「多分、荷物は乗り継ぎに間に合わないので、着かないと思いますが安心して下さい。
成田で係員に住所を言えば、ちゃんと家まで航空会社が送ってくれますから、、、、。」

私はこれだけを言って、更に係員にゲートまで案内をしてあげるようにお願いをして、このご婦人とお別れをしました。
ご婦人はJALの職員に案内されて、人混みの中に消えていきました。

私の方は午後の便なので、時間はたっぷりとあります。
ラウンジに行くと何故かオニギリが目に入ったので、これを2つも食べてしまいました。こんなの初めてです。

午後の成田行きは午後1時の予定に対して、40分以上遅れての出発。
私はこの午後の成田行きが大好きです。何故かと言いますと、ビジネスクラスでもファーストクラスのシートが使えるからです。

私は機内の食事は何でも構いません。全くこだわりません。
極端な話、コンビニの弁当レベルでも構いません。
でもシートだけはよく眠れるシートを使いたい。
あのシート、本当によく寝れます。これだけは本当にありがたく思います。

成田に着いたのが夕方の5時30分です。
ここから更に中部新国際空港までの乗り継ぎのために、トボトボと空港内を10分以上歩きます。出発が午後6時35分、搭乗開始が6時5分ですからラウンジで待つのではなく、直接ゲートに行きます。

ところが飛行機の整備が遅れ、実際に出発したのが7時45分で、1時間以上ゲートで待たされてしまいました。
そんな訳で、中部新国際空港に着いた時は9時前になっておりました。

ここから私の目指す母の家までは、更に高速艇に乗って、伊勢湾を横切って津まで行く必要があります。

が、高速艇は午後9時が最終でこれには乗れませんでした。桟橋からトボトボ再び空港の建物の方に歩いていると、空港の職員が前を歩いています。
「すみません。電車で名古屋まで行きたいのですが、どこで切符を買えばいいのですか?」

結局空港から名鉄に乗って40分近くかけて名古屋まで。名鉄のホームから今度は近鉄のホームまで荷物を引きずって行きます。
午後10時20分の特急まであと5分!時間がない!
あわてて切符を買うと何と指定席が8号車。オイオイ、一番端じゃないか!で、たっぷり200m以上走らされました。

白子駅に着いたのは午後11時。
ここでやっとカミさんと下の娘に会うことができました。カミさんは私より1週間早く日本に来ていたのです。携帯電話を持たない私は、娘に連絡をしようとすると公衆電話を探さなくてはなりません。
これが探すとなると意外と少ないのです。予定が変化する度に、娘の携帯電話に連絡を入れるというのも結構大変でした。

何はともあれ軽く食事をして、母親の家に着いた時は夜中の12時を少し回っておりました。車、バス、飛行機、電車を9回乗り継ぎ、オハイオの家を出てから27時間あまり。長い、長い1日でした。
この間、ずっと20kg以上の中型のスーツケースとショルダーバックを引きずっていますので、日本に来るとどこへ行っても階段ばかりで、本当に予想以上に大変です。

最近、段々とオハイオと日本の間の移動が苦痛になってきました。

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