05−08−12 8月15日:その2 

今日の午前中は歯科医院に行って、クリーニング(歯石取り、他の定期点検)をする日です。
予約は朝の8時30分なので、早いとは思いましたが、8時ちょっとに家を出て歯科医院に向かいました。途中である高校の前を通り過ぎると、生徒が何人も学校の周りの道路をランニングしています。

華奢な体つきの生徒が多かったので、9年生か10年生だと思いますが、今にも倒れそうなフォームで走っている生徒、まだまだしっかりした足取りの生徒、全部で20人以上はいたと思います。
私はこのような生徒を見ると、無性に嬉しくなって、そして爽やかな気分になってしまいます。

さて、爽やかな気分での歯科でのクリーニング、他の定期点検の結果。
日常の歯磨きのやり方は、ガリガリやってくれた衛生士のオバサンから合格をもらいました。こんなの初めてです。
ん、ここのところずっと、電動歯ブラシを使っているのせいかも。それと歯間ブラシもマメに使ってるからなー。

最近、左の一番奥の上が、物を噛んだときに痛いって言うと、ドクターRはすかさず、大きなポケットが裏にあります、ドクターGの意見を聞きましょう、という事で、ドクターGのところに行くように言われました。
家に帰ってドクターGのところに電話を掛け、事情を言うと9月の1週目のある日に来いと言われました。

またドクターGの検査・治療か、、、、。仕方ありません。

オハイオの歯科医院の待合室も日本と同じで雑誌とか、新聞が置いてあり、いつもは新聞を読みます。ドクターRの医院はドクターが2−3名で、診察台(椅子)が9台ありますが、待合室で5人以上の人を見たことがありません。
普通は2−3人です。

パラパラと新聞を見ると、相変わらず先週のイラクでオハイオの一つの部隊の兵士が、いっぺんに14人戦死した記事がかなり大きく取り上げられています。
さらにページをめくっていくと、「 The Great Raid 」という題名の映画のシーンが、ページ一杯に紹介されています。

パラパラと読んでみると、何と太平洋戦争のフィリピンでの日本との戦いを描いた戦争映画です。最近封切りになったのだと思いますが、内容は次のようになっていました。

この映画は史実に基づいて作られた映画で、1945年1月フィリピンの日本軍の捕虜収容所に収容されていたアメリカ兵を助けに行った、レンジャー部隊の話しである。
これらの捕虜の多くは、真珠湾攻撃の3ヵ月後にあったフィリピンでの日本軍との戦いで敗れた、生き残りのアメリカ兵である。


生き残りとは又、この戦いの後で79000人の捕虜が日本軍に強制的に70−80マイルを歩かされ、15000人が死んだあの有名なバターン死の行進の生き残りでもある、、、、、、


そうか、アメリカはまだ太平洋戦争の出来事を映画にして作っているのだ、、、、、。こ映画の紹介、何と1ページだけではなく、殆ど2ページにわたって載っていました。

「バターン・死の行進」、これはアメリカ人にとっては、「お前達日本人の事は、永遠に忘れないからな!」、というくらいスゴイものです。
そして終戦後の東京裁判でその報復として、日本軍の高官が死刑になっています。

クリーニングが終わってから会社に出勤した私は、会社の休憩所にやはりこの新聞が置いてあるのを発見、新聞を見せながら、ちょっとだけ勇気を出してアメリカ人に聞いてみました。
「Battahn Death March」、何と2人は明確に知っていました。(Battahn、これスペル忘れてしまいました。多分こうだったと思います。)

私はこの時の様子を、実際にこの場にいたある人の話を間接的にですが、聞いたことがあります。記憶の範疇なので間違っているかも知れませんが、以下のような内容です。

・こんなにたくさんのアメリカ兵が降伏してくるとは思っていなかった。何で、まだ戦える兵隊が降伏するのかと思った。

・日本軍はアメリカ・フィリピン軍の半分以下しかいなかった。そしてアメリカ兵はみんなバラバラに現場の指揮官の判断で白旗を揚げて出てきた。統制がとれているようには見えなかった。

・日本側も、食料は非常に乏しかった。捕虜のアメリカ兵も日本兵も同じ条件で歩いた。むしろ日本兵の方が、辛かった。なぜなら日本兵は武装していたが、アメリカ兵は丸腰だったから。

・あんなに大きな体をしているアメリカ兵が、何で直ぐに動けなくなるか、当時不思議に思った。直ぐに歩けなくなった。日本兵も一杯倒れたが、死んだのはいなかった。

この人はまた、最高司令官のマッカーサーが戦いの真っ最中に、部下に内緒で(大統領の命令であったが)家族と共にオーストラリアに脱出したことについて、何万人という部下を見捨てて指揮官が前線逃亡をした事を後で知って、何という国だと思ったとも言っていたそうです。(普通の将校、兵隊がこれをやったら、どこの国でも即銃殺)

79000人は、自分の国からも、現地の最高指揮官からも見捨てられた人達だった、と言えそうです。

この映画は生き残った捕虜を救出に行くというストーリーなので、上に書いたような事とは関係のない内容のようです。
アメリカは数年前には、パールハーバーという映画を作って、かなり日本をバカにしたシーンをわざと取り入れ、かつ残忍な事をするシーンも一杯入れてありました。

私は以前から、このバターン死の行進で日本兵もアメリカ兵も同じ条件で歩いた、同じように乏しい食料の中で歩いた、日本兵だけがトラックに乗っていた訳ではない、という点に注目していました。
実はアメリカに来て、何となくその理由がわかったような気がします。

アメリカは1925年頃から既に車社会で、人間が歩いて行動をする社会ではなかった事です。アメリカに来て、アメリカの古いフィルムをテレビなんかで見ますと、今ほどではありませんが、やはり肥満した人が非常に多い。
車社会で、歩かない人達。そして豊かな食糧事情の中での肥満。
会社でも街でも両足でやっと体重を支えているという人をよく見掛けます。よいしょ、よいしょと歩く人も結構多いです。

それに比べて歩くという事が移動の最大の手段であった日本。今でも田舎に行くと、片道2kmくらいを小学生の1年生が通学しているのはザラです。
それに今でも都会生活の大半の日本人は歩く生活です。電車、地下鉄に乗りますが、それ以外の歩く距離。運動量は相当なものです。
私もオハイオに来る前は、電車通勤でしたが、最低でも5kmくらいは歩いておりました。

要するに、歩く文化の国の人間が、歩かない文化の国の人間を捕虜にしてしまった。そして自分達の基準でその捕虜に歩くことを要求した。そしたら、倒れてしまった。

言い方に問題はあるかも知れませんが、そういう事のようです。
しかしながら結局は、日本人は残虐非道な事をやって、捕虜である多くのアメリカ人を死に至らしめた、という事になっています。
今でも、それに関係する映画をハリウッドは作っています。映画を作るという事は、それだけ客が集まるのだという読みがあるからです。

以前の日記にも書きましたが、アメリカは日本に関する事が今でも盛んにテレビ、新聞などに出てきます。そしてそれらの多くは、戦争の時の事です。
911でNYのツインタワーに飛行機が突っ込んだとき、真っ先に使われたのが「 Kamikaze Attack 」、という言葉でした。

日本製の工業製品は高価ではあるが性能は良い、日本は安全な国で治安が非常にいいらしい、日本の電車とかは非常に正確に運行されているらしい、日本は狭いけど清潔な国らしい、etc。

現代日本に対する非常にいいイメージもたくさんあるのは事実です。
でもこれらって何か無機質な、日本人という、「人間」、が見えてこない、そんな内容ばかりのような気がしますがどうですか。
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