05−08−12 8月15日:その2 |
今日の午前中は歯科医院に行って、クリーニング(歯石取り、他の定期点検)をする日です。 |
オハイオの歯科医院の待合室も日本と同じで雑誌とか、新聞が置いてあり、いつもは新聞を読みます。ドクターRの医院はドクターが2−3名で、診察台(椅子)が9台ありますが、待合室で5人以上の人を見たことがありません。 |
「バターン・死の行進」、これはアメリカ人にとっては、「お前達日本人の事は、永遠に忘れないからな!」、というくらいスゴイものです。 |
この映画は生き残った捕虜を救出に行くというストーリーなので、上に書いたような事とは関係のない内容のようです。 アメリカは数年前には、パールハーバーという映画を作って、かなり日本をバカにしたシーンをわざと取り入れ、かつ残忍な事をするシーンも一杯入れてありました。 私は以前から、このバターン死の行進で日本兵もアメリカ兵も同じ条件で歩いた、同じように乏しい食料の中で歩いた、日本兵だけがトラックに乗っていた訳ではない、という点に注目していました。 実はアメリカに来て、何となくその理由がわかったような気がします。 アメリカは1925年頃から既に車社会で、人間が歩いて行動をする社会ではなかった事です。アメリカに来て、アメリカの古いフィルムをテレビなんかで見ますと、今ほどではありませんが、やはり肥満した人が非常に多い。 車社会で、歩かない人達。そして豊かな食糧事情の中での肥満。 会社でも街でも両足でやっと体重を支えているという人をよく見掛けます。よいしょ、よいしょと歩く人も結構多いです。 それに比べて歩くという事が移動の最大の手段であった日本。今でも田舎に行くと、片道2kmくらいを小学生の1年生が通学しているのはザラです。 それに今でも都会生活の大半の日本人は歩く生活です。電車、地下鉄に乗りますが、それ以外の歩く距離。運動量は相当なものです。 私もオハイオに来る前は、電車通勤でしたが、最低でも5kmくらいは歩いておりました。 要するに、歩く文化の国の人間が、歩かない文化の国の人間を捕虜にしてしまった。そして自分達の基準でその捕虜に歩くことを要求した。そしたら、倒れてしまった。 言い方に問題はあるかも知れませんが、そういう事のようです。 |
しかしながら結局は、日本人は残虐非道な事をやって、捕虜である多くのアメリカ人を死に至らしめた、という事になっています。 今でも、それに関係する映画をハリウッドは作っています。映画を作るという事は、それだけ客が集まるのだという読みがあるからです。 以前の日記にも書きましたが、アメリカは日本に関する事が今でも盛んにテレビ、新聞などに出てきます。そしてそれらの多くは、戦争の時の事です。 911でNYのツインタワーに飛行機が突っ込んだとき、真っ先に使われたのが「 Kamikaze Attack 」、という言葉でした。 日本製の工業製品は高価ではあるが性能は良い、日本は安全な国で治安が非常にいいらしい、日本の電車とかは非常に正確に運行されているらしい、日本は狭いけど清潔な国らしい、etc。 現代日本に対する非常にいいイメージもたくさんあるのは事実です。 でもこれらって何か無機質な、日本人という、「人間」、が見えてこない、そんな内容ばかりのような気がしますがどうですか。 |