05−03−05 3月と言えば、、、、

今年の冬は例年に比べて雪が多く、昨日も夕方から降り出して、朝になったら真っ白の銀世界です。
これだけ度々雪が降ると道路の方が心配なのですが、塩の散布のタイミングがいいのか、特に運転に支障を感じることもなく過ごせています。

官庁、そして大体の会社が3月というのはいわゆる、1年の〆の月で、いろいろと忙しくなります。私の職場も同じで、特にお金を扱っているセクションはその傾向が強く出ます。そうです、予算と実績の〆です。
私の部門だけが取り扱っているお金で、一種の損害賠償に関係する予算・実績があるのですが、やはり年度末になると忙しくなります。

私も3月になると、仕事の3分の1くらいが、これに費やされてしまいます。普段から、ちゃんとやっとけよ、と言ってるのですが、、、、、、。
私も含めてアメリカ人も全然管理ができてません。年度末になってバタバタします。

Don't put off till tomorrow what you can do today. :きょうできる事を明日に延ばすな

この諺を守り、1年間を過ごしていればこんな事にはならない。オレだってこれができていればもっとエラクなれたかも知れない。これをアメリカ人に言うのですが、
「SHIN、この諺は全く正しいですね。ほんと、そうですね!!!私もそう思います。」、なんて言うだけで、ちっとも実行しません。

Don't do on today what you can put off till tomorrow. : (明日に延ばせる事は今日するな)
どうも私のところのアメリカ人はこの精神が染み付いているみたいです。

Don't work by yourself what you can ask to Shin. : (SHINに頼める仕事は自分でするな)
それともこんな事、言い合っているのじゃないか?聞いてみる必要がありそうです。でも白状しないだろうなー。

(上の赤字2つは、私が勝手に作ったもので、これがアメリカ人に通じるかどうか、知りません。念のため。)

そんな訳で最後の詰めの会議を今週は4つの取引先とやるハメになってしまいました。

A社:事前の説明と、ネゴ、それに準備を周到にやったお陰で、何とか相手も納得してもらえそうな雰囲気です。でもA社の日本本社が何と言ってくるか、ちょっと心配。でも今回は押し切れる自信はあります。練りに練った戦術で攻めています。
実務をやってくれたWさんは、「いつもここまでやってもらえるとアメリカ人、勘違いしませんか?それだと大いに困るのですがねー。」、と言っておりました。

B社:何と20分で終了。理由はいろいろとありますが、既に基本的な契約は合意しており、1年ごとの見直しの結果の精算だったので特に議論はなし。こんなのはアメリカ人だけでやってくれよなー。

C社:この会社の態度には私はキレました。何を質問しても答えは、「アイドントノー!」、つまり、「知りません。」、です。報告側が質問に答えられない時は、英語では、「I have no idea.」、というのが普通の受け答えで、「I don't know.」、は「知らねーよ。オレの答える事じゃねーよ。」、というくらいのニュアンスと解釈すべきです。

カチンと来た私は、「じゃ、君には質問はしない!私は誰に聞けば答えをもらえるのだ?それを教えてくれ。」、と言ったところこれに対しても、「I don't know.」、とその大男のアメリカ人はでっかい声で返事をしたのです。私はそこで、「わかった、君には何も質問はしない。」、という事でこの場ではこのアメリカ人を無視しました。

余程、君の上司の名前を教えろ、と言おうかと思いましたが、初対面でもあるし、止めておきました。でも今考えると言っておくべきだったと思います。
I don't know.」、が続いた場合の別な対応方法として、「はい、今日の会議はこれでおしまい。」、と言って席を立つ手もあり、これは何回かやった事があります。アメリカ人相手の時は曖昧な態度は絶対に禁物です。

この会社、名前を聞けばあっと驚くような、超有名な日本の超大企業です。私にとっては相手の会社の規模とか有名度は一切関係ありません。私の関心は失敗に対して、どこまで真剣に反応・対応しているか、だけです。
この会社とは、じっくりと腰を据えてやることに決めました。「もう逃がしまへんでー、、、観念しなはれ、、、。」

D社:ほとんどこちら側のミスで3月になって、「ゴメン、請求が洩れてた。これだけ払って、お願い。」、という状況になっています。相手は典型的なアメリカの会社。
我々の落ち度を、遠慮会釈無く攻めまくってきます。そして自分たちの置かれている立場をうまく説明します。最後にこちらの要求に対して、目を剥くような低い条件の答えをドカーンと出してきました。

額の汗を拭って、「わ、わ、わかりました。内部で検討させて下さい。」、これしか言えませんでした。だってどこを突いても、相手には落ち度はないんだもん。9割はこの会社の言うことを飲まなきゃいけないみたいです。

2月にカナダからSHINさんが転勤してきました。
普段から非常に密接な関係を保っている隣の職場に見えたのです。これで近い職場にSHINが2名になってしまいました。
アメリカ人のファーストネームもトムとか、ジムとか同じのが一杯いますが、このような場合は姓名で言って識別します。
ジム・スミスとかジム・ジョンソンとか言って混乱を避けます。

じゃ我々日本人もそうすればいいのですが、私の苗字はアメリカ人にはちょっと発音しにくいみたいです。
カナダから転勤してきたSHINさんの苗字はそうでもないようですが。どうするかなー。

カナダからのSHINさんは96年まで8年間ほどオハイオにいた経験があり、これでオハイオは2回目です。
つまり1回目のオハイオ8年、その後日本に3年、カナダに5年、そして今回2回目のオハイオです。

今度はオハイオに何年お見えになるのか、ちょっとわかりませんが、5年いるとすれば、北米だけで合計18年になってしまうという、SHINさんです。
カナダの5年間は子供さんの関係で単身で過ごされましたが、オハイオに転勤になって、今度は奥様がお見えになるそうです。

そんなSHINさんの歓迎会をやろうとIさんが企画、今日は
Iさんのアパートに有志が集まり、歓迎会をやりました。
もちろん職場の公(?)の歓迎会は赴任直後にやっているのですが、こじんまりとやるのもいいものです。

Iさんは赴任当時は奥様と娘さんが2名みえたのですが、4年前に帰国、現在は単身です。別名割烹「I」、という名前で私も何度かお邪魔をして、Iさんの手料理を肴に飲ませてもらった事があります。

Iさんは台所で料理をするのが苦にならないようで、いろんなものを作る事ができる、私とは異なる人種であります。

日本食スーパーで、私の買い物かごの中を見たレジの韓国人のオバサンに、「アナタ何もできない。飲むだけできる。」、と言われたショックから立ち直れないでいる私。

この週は生憎カミさんが日本に行っており、Iさんの家に呼ばれたものの、何か作って持っていくなんて芸当は絶対に私にはできませんので、仕方なく、日本レストランでパーティー用の寿司の盛り合わせを買って持っていきました。

Iさんのアパートまでは、あまり液体燃料を召し上がらないKさんに家まで迎えに来てもらい、Iさん宅へ。Wさんは奥様も見えており、全部で7人の歓迎会。ワイワイ・ガヤガヤで夕方6時ちょっと過ぎから10時頃(本当はよく覚えていません)まで楽しく飲ませて頂きました。
SHINさん、これからよろしくお願いします。

さて今年はあと何回、歓迎会・送別会があるのかな?

inserted by FC2 system