03−11−13 日本を離れての生活
父の主治医にも会い、その他の用事も済ませた私は4日間の日本滞在を終えて再びオハイオへ。
昨日は新幹線で東京まで、そして1泊して、木曜日の今日成田からシカゴまでのフライト。帰りのフライトは追い風に乗って11時間でした。

シカゴに到着3−4時間前、つまりカナダの北西部を通過中、「左手にオーロラが見えます。」、という機内放送。
半分寝ていた私はガバッと飛び起きて、窓にへばりつきます。実はこれを期待して、2階の左窓側の席をとってあったのです。

オーロラを見たのは、これで2回目。でも今回見えたオーロラは素晴らしかった。写真とかビデオで見る、あの紫と青の巨大なカーテンが空で舞っておりました。一瞬でカーテンが姿を変えるところなどは、信じられない光景でした。
大感激の私は、もう10分近くも見ておりました。

でも窓からオーロラを見てあれこれ言っているのは日本人の乗客だけ。今回はアメリカ人とかもかなり乗っていましたが、彼等は誰一人としてこの大パノラマを見ようとする連中はおりませんでした。

どうしてかなー。コイツらみんな北極で白熊と一緒に住んでいて、見飽きている連中なのかナー。
非常に対照的でした。
シカゴからコロンバスまでの乗り継ぎ便は3時間半近くの待ち時間があります。AAのラウンジで時間をつぶすのですが、これも結構退屈です。
成田空港で買ってきた本を読みながら、アメリカ人が何をしているのか、それとはなしに観察をします。

とにかく携帯電話でペチャクチャ話している連中がものすごく多い。3−4年前では考えられなかった事です。ここ数年、アメリカもやっと携帯電話が普及して、このような光景が見られるようになりました。

日本と決定的に違うのは、メールを発信している連中が皆無な事、みんなとにかくペチャクチャです。(アメリカでは携帯電話からのメール発信は全く、普及していません。)

ラウンジで私の見える範囲のアメリカ人が、最大の時は3人に2人が携帯電話で話をしておりました。それにイヤホンとマイクを外付けにしたものを使っている連中も結構おります。

携帯電話は日本ですと高校生は殆ど持っているそうですが、アメリカでは高校生当たりが携帯電話で遊んでいるという姿はまだ見る事ができません。
普及のリードは、どうもビジネスユースのようです。

ですから、カメラ付きの携帯電話とかは、これもなかなか普及しないのではないかと思います。デジカメ自体もあまり普及していません。
そもそも写真というのは、写真屋に行って撮る、という考え方が結構強く残っており、私の家の近くにもそのようなスタジオが一杯あります。
地球の裏側に住んでいても、やはり日本にいる身内の事は気になります。
その内容は様々ですが、やはり私のような年代になると両親、親戚の病気のこと。私が日本に行く前にやはり同じ駐在員のUさんの父上が亡くなり、彼も急遽帰国をしていました。

私の会社では海外で仕事をしている社員は何百人もおり、多くの社員は大体40才以上です。という事は子供の学校の問題、それに両親の世話の問題などを抱えている年代です。北米で仕事をしている社員が数の上では一番多く、次がアジアです。

アジアですと、バンコックあたりでも日本まで6時間ちょっと、中国だと3−4時間で日本に行くことができます。ところがオハイオは距離もあり、更に乗り継ぎがあったりして確実に20時間以上、ドアーツードアーでは丸24時間がかかります。

切符の手配を考えるとどんな事があっても最低36時間以上、つまり2日近くが必要です。
(南米あたりにいる連中は、これは別格です。)

つまりこれは何か不幸があった場合は、先ず、間に合わないという事を意味します。

ですから私の場合のように、父の具合が悪い、そして微妙な状況になっていると場合は、元気なうちになるべく顔を見せておくという事が必要なのです。

「じゃ、また直ぐに来るから、、、、。」
昼間はソファーの上で横になっている父の顔を見て言い、私は家を出てきました。

別名、海外出稼ぎ日本人の私、しばらくは日本往復が頻繁に続きそうです。
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