03−11−11 プライベートの帰国
10月に予定していたプライベートの帰国、仕事の都合で延期をしておりましたが、やっと行くことになり7日のフライトで日本まで。
2年ほど前から父の具合が悪く、それがどうも更に悪化の兆しの診断結果が出てきたため、いろいろと済ませなくてはならない用事があったのです。

コロンバスからシカゴ、シカゴから成田。シカゴから成田はグレードアップのチケットも取れず、しかも何と14時間のフライトになってしまいました。
この季節は偏西風が非常に強くなり、シカゴから西向きに飛ぶ飛行機の地面(地球)に対するスピードが落ちてしまうからなのです。

成田に着いた私はどうしても会いたい人がいたので、この日は東京で1泊。
結局父母の家に着いたのは10日の昼過ぎ。前の日は岐阜県に住んでいる妹の家で一泊する必要があったのです。

この日の午後には父の担当ドクターが往診に来てくれました。父は大学病院からある大きなクリニックに診療が移されており、ここの院長が若いドクターと、看護婦を連れて3人で往診に来てくれました。
この日の診察は20分くらいでしたが、今までの総合的な経緯と今後の見通し、その他を全部聞くために、翌日にこの院長と会う約束をしてこの日は終わりました。

翌11日の12時、私は妹と2人でここのクリニックを訪ね、昨日の院長と会っていろいろと詳しい話を聞くことができました。
院長は昨日連れてきた若いドクターと2人で約1時間を掛けて、いろいろな説明を非常に詳しくしてくれました。

院長は私より少し若い誠実そうな方で、この院長の治療方針に対し、私は私の考えをはっきりと述べておきました。

病気の父は以前は本を読んだり、テレビを見たりして過ごしておりましたが、今年の7月に私が家に行ったときにパソコンの囲碁のゲームをやらせたところ、私がオハイオに帰ってから、
「どうしてもやりたい。」
と言いだし今はSONYのプレステの囲碁をやっておりました。

父曰く、「このレベルではちょっと話にならない、バカ勝ちしてしまうが、仕方がない。」
ちなみに父はアマの何段かで、プレステのソフトを見ると、「日本棋院認定、最強レベル:1級」、と書いてありました。

父の容態はかなり微妙で、治療のための選択肢が非常に限られており、改めて年齢を感じざるを得ませんでした。
その後母親の希望で古い家の方に行き、生け垣の刈り込みのお手伝い。
いつもの庭師に頼んだら、年明けにしか来れないと言われたそうで、このまま年を越すのはちょっと忍びないという訳です。
他の庭師に頼めばいいじゃないか、と思いましたが年老いた母親の希望、ここは黙って言うことを聞く事にして、20kmほど離れたところの誰も住んでいない古い家に行って、生け垣の刈り込みをやりました。

刈り込みをやっていると近所のおばさんが何人も通ります。普段見かけないオジサンが平日に何をやっているのだろうと脚立に乗った私を見て行きます。母親が挨拶をするとそれは同級生のK君のお母さん。それに私より1才年上のOさんのお母さん。

「誰かと思ったら、SHINちゃん。親孝行なこと。」

おばさん達は私が小学生、中学生時代の時に私を見た同じ目つきで物を言います。何だか非常に照れくさい。イエ、ものすごく照れくさかった。
私はこの古い家に来ると、近所の人にとっては今でも腕白坊主のSHINなのであります。

オレ、もう50才を越えたバリバリのオジサンなんだけど。ま、いいか、これも遠く離れて生活しているからこそ味わえる事なのかも知れませんから。
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