01−12−19 いろんな人に会いました
あっと言う間に終わった一時帰国休暇。半分以上を仕事に潰されたのがつらいのですが、時間割りをタイトにしなかったため、業務出張のみとは違った気分で過ごせました。

娘たち、両親、親戚、友人、それに会社の仲間で個人的な付き合いができる人、その他大勢。アメリカにいると電話とかメールでしかやりとりができませんので、このような機会ではとにかくいろいろな毛色の違った人で、普段は会えない人に会うようにするのです。

海外に出て6年目、やはり自分で努力して人の輪を維持しておかないと、段々と忘れられるものなのです。やっぱりいつかは日本に帰って生活をするのですから。人間一人ぼっちでは生きていけません。
そして偏った人だけの付き合いでは面白くないではありませんか。
目玉のひとつは中学、高校の両方のクラスメートの一人、K君に会った事です。
かれはある大手ゼネコンの東京本社に勤務しており、2年ほど前に中学の同窓会の連絡が日本の実家にあり、それで消息がわかり、メールのやり取りをしていたのです。

今回もどうしても時間がとれず、会えないと思ったのですが急遽スケジュールの変更があり、ぽっかり夜の部があいたので、さっそく電話をしたところK君はその日はダメとのこと。
仕方なく、午前中にホテルで会うことにしました。

ホテルのロビーに現れたK君は、びっくりするくらい昔と変わっておらず、30年以上前と同じ顔をしておりました。
男2人がお茶をすすりながら、30年ぶりの再開をするというのは、アホがやる事です。私とK君はアホではないので、さっそくレストランへ行ってビールを注文し、再会に乾杯。

時間は朝の9時。4杯ほど飲みましたが、ウエートレスが
「このオジサンたち、何きばってこんな時間からビール飲んで盛り上がってるんかしら。」、なんて顔をしておりましたが、私としてはウイスキーのダブルでもガブ飲みしたい気分でした。
声はでかいし、三重弁丸出しで、周りの人に迷惑かけたかな?
今度は一升瓶とスルメで徹夜でやりたい。

秀才だったK君ですが、ざっくばらんな雰囲気は全く変わっておらず、これからもずっと付き合えると思いました。この日は平日であり、K君も私も仕事がある日。残念ながら1時間半程で別れました。

「幸せそうに見えても、この年になるとみんなそれぞれ大きな悩みを持って生活しているのさ。」
K君のこの言葉がいつまでも耳に残りました。
私の大先輩で、長い付き合い(指導を頂いた方たち)があった人がこの秋から冬にかけて一気に3人も会社を去りました。いずれも6才から10才も年長の方ばかり。何とか時間を作り、3人のうち2人には会うことができました。

Gさんはオハイオに9月までおり、家族ぐるみで個人的にもお付き合いのあった方。やはり1時間半程度でしたが、今の心境について話を伺うことができました。
多趣味な方で、家を新築の予定、毎日スイミングクラブに通い健康管理に気をつけていると言っておりました。オハイオにいた時も、週に何度かプールで泳いでいたようです。

Nさんは12月一杯で退職。

三重県から東京に戻るときにお宅に寄せて頂きました。横浜に住んで見え、かえっていろいろとご馳走になり、恐縮してしまいました。
何ともうらやましい眺望の高級マンションに住んで見え、西を仰げば富士山、鎌倉、東を見れば東京湾、房総半島、目の下にはきれいな海岸、14階の下の13回には息子さん夫婦も住んでみえるという恵まれた環境。

英語も堪能というレベルを超えた方で、退職されるまでに50カ国を回ったという国際派。そして多才。
これから自分の生き方をじっくり見つけるとおっしゃって見えました。

Tさんは残念ながらお会いできず。電話だけでの挨拶になってしまいました。Tさんもオハイオに5年間駐在でみえ、何と5ヶ国語を操るという、私からすれば「????」しか出ない方です。オハイオ駐在時、地下室はこれらの原書で埋まっていたという有名な話があります。
ちなみに私の家の地下室は、私の喫煙室になっております。

ところがTさん、今電気工事士の免許を取るべく、職業訓練学校の半年コースに通っていると聞いて、もうびっくり。
「人間、違う方の頭を使わなアカン。ナカニシ、お前はもうアルコール性脳軟化症になっとるんとちゃうか?」
言われてみれば、そうかも。

これらの人生、会社の先輩たち、いずれも大きなゆとりの中で自分発見を開始されておりました。
実家に帰ってびっくりしたのは、77才の父親がまた車を買うという話。いったいこの5年間で何台換えたら気が済むのか、まあ運転できるだけイイか。でも事故が心配。
「これで最後、これで最後。」と言っているようです。
母親は一時調子が悪かったのですが、ちょっと回復をしたようす。

いろいろな人と会うたびに思います。
50才を過ぎると新しい人との出会いというのは、急速に減ってくる事です。特に私のように海外に隔離されていると、そのお付き合いというのは本当に限られてしまうのです。

よし、あれこれ考えても仕方ない。オレはオハイオにいる間しかできない事をやろう。今回は将来の人と人の付き合いについて、いろいろと考えさせられた帰国休暇でした。
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