01−09−17 混乱のコロンバス空港
8月の中旬からオハイオには下の娘が来ており、テロ事件の1日前までワシントンDCに旅行に行って、日本への帰りは9月14日。今回はテキサスのダラス経由、成田、名古屋という経路で日本を往復しておりました。

事件直後からアメリカ全土の民間機の飛行が停止され、アメリカは大混乱に陥っておりました。
アメリカで飛行機が飛ばないというのは、日本での事情と異なりその影響ははかり知れません。郵便、貨物、食料までも飛行機を使って輸送をしており、鉄道が殆ど発達していないアメリカでは、飛行機は正に生命線を握る輸送手段なのです。
もう9月14日の飛行機に乗れる等とは思っておりませんでしたが、ではいつの飛行機に乗れるのだろう、娘は18日から学校の授業があるという事で16日(日曜)には何とかこちらを出発しなくてはなりません。
13日から、コロンバス→ダラスのAA(アメリカンエアライン)、ダラス→成田のJALに電話でコンタクトを始めました。

どちらも電話はなかなか通じません。特にJALは何百人ものアメリカ→日本の旅行客が足止めを食らっており、もう混乱の極み。
「9月14日のチケットを持っているのですが、どういう順序で飛行機に乗れるのでしょうか?」
という質問に対しては「わからない」という返事の一点張り。
確実に乗れるのは9月25日以降という返事でした。これでは学校には到底間に合いません。

結局14日のチケットを持ったまま、15日、16日、17日と予約を入れて待つことにしましたが、コロンバス→ダラスのAA便の予約はこちらでやれ、というJALの返事。
普通はJALが接続便の面倒も見てくれるのですが、今は大量の客をさばかなくてはならず、
「JALだけを優先させてもらいます。」
という非常に不愉快な返事でした。この前からJALの態度にはかなり不満がありましたが、今回も「他の会社の事なんか知るかい!」という露骨な態度を見せました。

AAに電話をかけると、あちこちの便が間引きで運行されており、JALに合わせて予約が取れそうもありません。
JALが飛ぶ日はAAがなく、AAが飛ぶ日はJALが取れない、やっと両方が取れそうだと思ったら2時間後には急にAAがキャンセル。

全て電話でのやりとり、しかもその電話が回線パンクでなかなか通じません。全く処置なしの状態でした。
それでも16日(日曜)の朝には何とか両方のフライトの17日(月曜日)の予約が完了。
「でも当日まで本当に飛ぶかどうかわからないので、当日確認をして下さい。」という返事。
そんな訳で、16日(日曜日)は窓口がやっているギリギリの時間帯まで「大丈夫ですよね。」という確認の電話を入れなくてはなりませんでした。

AA便はコロンバス朝の6時55分出発。AAのオペレーターは2時間前には空港に行って欲しい、と言ってきましたので、5時には空港に行かなくてはなりません。空港までは30分かかるので、家を4時30分に出発、つまり17日の朝は
3時45分頃に起床という事になりました。

一方、ダラス矢印は午後2時30分出発なので、娘はダラスで乗り継ぎ6時間待ち。こういう事態ですから文句は言えません。
成田→名古屋便はまだ予約が取れておりませんが、とにかく日本に着いてしまえば新幹線もあるし、何とかなるので17日(月曜日)のAA、JALが運休しないことを祈りつつ、16日(日曜日)の夜は早めに床に就きました。

航空会社の対応はJALよりAAの方が親切な感じでした。
17日(月曜日)は予定通り朝3時45分に起床、カミさんはお弁当を作ったので3時起床だったようです。
空港には5時少し前に到着、駐車場はいつもよりかなりすいておりました。

娘の荷物は手持ちの小さな鞄と荷物室に預ける段ボールの大きな箱がひとつ。
駐車場からAAのカウンターまでエレベーターに乗って、動く歩道を小走りに歩き、5分で到着。カウンターロビーはもうすでにかなりの人でしたが、AAのカウンターには数人しか客がおりません。

出発便の掲示を見ると娘の乗る飛行機は「予定どおり」となっており、一安心。
カウンターでチェックインをすると、この段ボール箱は検査をしなくてはならない、と黒人の受付のオバサンが言います。
何で貨物室に入れる荷物の検査をしなくてはならないのだ、と思いましたがこの非常時、文句を言うのを止めました。

オバサンは係りのポーターを呼んで段ボールを検査するように頼みます。この検査がOKになるまでは座席予約券をくれないのです。
一体どこで検査するのだろうとポーターに着いて行くと、何と搭乗ゲートのレントゲンの検査機があるところに荷物を持って行って、ここで検査を頼むというのです。

でっかい段ボールを、あのコンベヤーの付いた機械に乗せたところ、箱がでかすぎたのか箱が機械の中で止まってしまいました。レントゲンのモニターには箱の中身が丸見えで写っております。
やっとの事で箱を機械から引っぱり出したら、もう一度入れようとします。しかも引っかかりやすい縦方向で。

でも今度は何とか通過。
すると係員は「これは誰の荷物か?」
とそのポーターに聞いております。
「これはあの子の荷物だ。」

するとその係員は娘に搭乗券を見せろと言います。当然娘はまだ持っておりません。
「搭乗券がないのに何故飛行機にのろうとするのだ、何故この荷物の検査をするのだ」

もう全くかみ合いません。ポーターは、
「この検査を受けないとAAは搭乗券を発行できない、だからここに持って来た。」
でも係員、
「搭乗券を持っていないのにナンで検査をするのだ、大体搭乗券がないのに、ゲートをくぐっているとは何事だ!」

でもそのポーター氏、がんばってくれました。検査は終了。普段はレントゲンのモニターは大体黒人のアンチャンかネエチャンがペチャクチャおしゃべりをしながら見ているのですが、きょうは白人の責任者らしき人が見ておりました。

ゲート、チェックインカウンターは長蛇の列、後30分遅ければ飛行機に乗り遅れたかも知れません。
娘の段ボール箱は開けられ、中のものを半分くらい出されてゴソゴソやられました。
実はこの箱の中には大きな30cmもある料理包丁が入っていたのですが、検査官はこれを見つける事ができませんでした。

見つかったら、反問してやろうと待っていたのですが、検査官は2人かかりで中のものを丁寧に箱の中に戻し、テープを貼って戻してくれました。どう見ても、1回もやったことのない感じで、箱にきっちりときれいに物が詰められているのを見て、びっくりしている様子でもありました。

また係官はパイロットの荷物を徹底的にチェックをしておりました。
パイロットとかも客と同じ探知機のあるゲートをくぐって行きます。何故パイロット達がこkまでやられているのか見当がつきません。

年輩のパイロットも文句も言わずに、彼ら専用の大きな飛行バッグを逆さまにして中のものを見せておりました。

会社に行くとアメリカ人達が
「娘さんは無事に飛行機に乗れましたか?」
とみんなが聞いてくれました。

包丁の話をすると、昨日やっとの思いでテキサスから帰ってきた出張者のアメリカ人が
「空港は何にも変わっていない。全く変わっていない。検査は前と同じ、メクラ。でも一つだけ変わっていた。それは長い行列だけ。

アメリカ政府は日本の空港の検査の体制がゲートに武装兵(または武装警官)がいないから、日本出発の飛行便の乗り入れを一時許可市内旨の通知を日本政府に出したそうです。

アメリカ人ははっきり言って、何に対してでも「変化」に非常に弱い、というのをずっと感じておりましたが、空港の混乱の半分は彼らの弱さからきているのでは?と考えざるを得ませんでした。
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