01−01−12 帰国そしてまた海外勤務
今日の午後、取引先のAさんがこの3月に帰国されるというのでそのあいさつにやって見えました。
Aさんの会社は私の会社から車で2時間、距離にして200kmくらいのところにあります。

Aさんがオハイオに見えたのは6年半前、私より2年前の赴任でした。日本人の場合、子どもの学校の都合がある人が多く、ベストは新学期の4月前に帰るのが最も都合がいいのですが、Aさんはラッキーにも3月に日本に帰る事になったのです。

いつもより、何かニコニコしているAさんと、その後任のTさんの2人で事務所にやってみえ、私のセクションのもう一人の日本人駐在員であるW君と4人でしばし雑談をしました。
Aさんの会社は日本に3カ所の工場と海外に3カ所の工場があります。海外はアメリカ、中国の上海、それにタイ、それ以外に合弁でインドネシア、その他にも事業所があるそうで、日本にいる従業員よりも海外の従業員の方が多いそうです。

6年半の間の苦労の思い出、何かにつけて私の無理を聞いて頂き、仕事では申し分のない方でした。
今更仕事の話をしても始まらないので、自然と生活の話になりました。Aさんの工場があるのはHという人口5000人程の典型的な田舎町。大体どのような町なのか、容易に想像がつきます。

Aさんの年齢にしては子どもが小さく、上の子どもが小学校5年生。従って、帰国すると4月から6年生です。幼稚園からのアメリカ生活で、英語はほぼ完璧だそうですが、日本語がかなり変になっており、これが心配との事。
更に下の子供は小学生の低学年で、日本の事は何も覚えていないという事。全くのアメリカの生活しか記憶にない子どもだそうです。

何と言っても日本の学校は集団性を重んじるところがまだ強く、これに馴染めるのかどうかこれもAさんの不安の一つになっております。
帰国先は地方の田舎の小さな市であり、このような帰国子女を受け入れるのは間違いなく始めてであろう学校で、何もかもについて相当にご心配の様子でした。

一方の後任のTさんはオハイオに来て3年半、子どもは高校2年生と中学生で、二人とも女の子との事。Tさんの話によると、2人ともこちらの学校に満足しており、最初の1年は相当に苦労したそうですが、その後は環境にとけ込んでおり、子ども達は大いにアメリカの田舎生活をエンジョイしていると言ってみえました。

お二人の話を伺って改めて感じたのは、海外転勤で一番の関心事は子どもの学校の事で、家族の中で一番苦労する存在だ、という点でした。
その次に苦労しているのが多分、お父さん。一番苦労してないのがお母さん。この順番は誰に聞いても異論がありません
今週の火曜日にはイギリスからOさんという出張者が私のところに来て、丸1日間のおつき合いをしました。
イギリスには私は15年前に1回だけ行ったきりで、イギリスの詳しい事は良く知りません。いろいろと話を聞いたところでは、日本人から見たイギリス人と、日本人から見たアメリカ人は非常に似ており、特に次の3つは全く共通しておりました。

1. 自分のやった失敗に対しては絶対に反省をしない。最後まで言い訳を通そうとする。
2. できそうもない事でも「できる」と直ぐに言う。
3. チームで仕事をするのは不得意で、互いに欠点をカバーしながらの仕事は殆どできない。


逆にちょっと違うかな、と思うのが次の2点でした。

1. アメリカ人は日本人の変な英語でも、露骨にバカする人は少ない(陰では一杯言っておりますが)が、イギリス人は多いとのこと。
2. 2つ以上の立場の上の者に対しては直接モノを言わない。直属の上の者にしか意見を言わない。
3. とにかくプライドが高く、日本人の言うことを殆ど聞かない。
4. 競争心が割と少ない。


駐在員の小学生が地元の学校に入ろうと親が連れていったところ、英語ができないその子どもを見て、
「英語ができるようになってから学校へ連れて来い。」
と言われたそうで、少なくともアメリカではこのような話はまだ聞いた事がありません?
日本に帰る取引先のAさん40才半ば。この方もあと何年か日本でリフレッシュした後、再び日本以外のどこかの国に行くのは間違いありません。ご本人にそれとなく聞いてみましたら、黙ってみえましたのでもう将来の内示を受けているのかも知れません。
いつかきっと再びおつき合いがある方です。

イギリスから来たOさん、この方は55才。製品の研究開発をやっていた社内でもそれなりの立場の方で、30代後半から40代にかけてLAに駐在勤務をしていたそうですから2回目の海外勤務。
イギリスはまだ2年ですから、ひょっとしたら60才までイギリスかも。

家族を含めて、それぞれの年代に応じた苦労をしながら、みんな慣れない国、土地でがんばているのです。
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