日本に行って感じること
日本にいるある人から、「オハイオに11年以上いる人間が、たまに日本に来て何を感じるか感想を述べよ。」、という指示を受けました。
オハイオに来ての新鮮な印象は最初の3年〜4年間がピークでした。その後徐々に新鮮さがなくなっていき、6〜7年を過ぎた頃からは感動をする事がグンと少なくなりました。(他の人はこの変化の期間はもっと短いかも知れません)

これとは逆に日本を訪れた時に感じる、生活一般等の違いに対する感度はどんどん高まっていきます。
これはやはり食べ物が旨いとか、いろいろな事の効率がいいとか、思っている程人々が親切ではないとか、何でこんなに物価が高いのかとか、やっぱり日本はベッピンさんが多いとか、いろいろとあるのですが、今回はちょっと違う観点から3つほど感じた事を書いて見ます。

内容的に深く考えた訳ではなく、ぼんやりと思っている事をざっと書いただけなので、この点了解願います。
自動販売機王国?ニッポン

電車、地下鉄の切符から始まって、タバコ・清涼飲料水、ビール・酒・おつまみ・ラーメンまで自動販売機で買うことができます。
とにかく街を一歩歩くと自動販売機だらけです。ホテルのチェックイン支払いも自動販売機(機械)でやるところがあります。田舎の方にいくと普通の家の前に自動販売機が置かれていたりします。

東京である駅を降りてから200mくらい歩く間に何台の自動販売機が目に入るか数えた事があります。20台以上ありました。もうこれは自動販売機だらけ、という感じです。コンビにも山ほどあるのに、本当にここまで必要なのかと思いたくなります。

これに比べるとオハイオ、いえ、アメリカ中どこに行っても自動販売機を見かけるのは稀です。ましてや街の通りにずらっと並んでいるなんてのは絶対にありません。
アメリカで自動販売機が普及しない理由の一つに、アメリカ人は機械から物を買う事を信用していないからだと思います。機械は故障して当たり前という認識が普通です。そんなものにお金を入れるなんて、物が出てこなかったらどうするんだい?という事だと思います。

アメリカの自動販売機は日本のものと比較すると桁違いに頑丈です。色はダサいものが多く本当に「機械」、って感じです。それにメチャクチャ頑丈そうです。大きな斧でも持ってこないと壊せそうもありません。(アメリカのある人達にとって自動販売機は、監視カメラのない無人の金庫という位置付けらしい。)

日本の自動販売機は本当にカラフル・コンパクトでそして華奢です。「お買い上げありがとうございます。」、なんてカワイイ声でお礼まで言ってくれます。
でも日本中に置かれた膨大な数の自動販売機が消費する電力エネルギーってスゴイ量だと思うのですが、、、、、。
ファッションの国?、ニッポン

日本に来て人の格好を見た時にまず感じるのは、みんなが着ている服の色が男女ともカラフルではない事です。非常に地味な色が多いと思います。オハイオ人の服装を見るとやたらカラフルです。赤、黄、青、桃色、紫、緑、原色の服装が目立ちます。
日本人の服装の色を一言で言え、と言われれば私は「グレー」、というイメージで表します。このイメージは女性ももちろん含みます。特に中年を迎えるあたりから急激に地味になっていきます。

ところが、です。日本人の服装は色はともかく、そのデザイン、質感はオハイオ人のものより一般的に上です。これは間違いありません。オハイオ人の着ている服の特徴をズバリ一言で言え、と言われれば、「ダサイ」、という言葉を私は使いたいと思います。この傾向はNYとかシカゴとかの大都会に行ってもあまり違いを感じません。

再度、ところが、です。服そのものだけを日本人のものと比較する、オハイオ人のそれはセンスのかけらもないのですが、それを着た人全体で見ると、「ダサイ感」がかなり軽減されています。
どうしてなのか、その理由について無茶苦茶な分析をしてみる事にします。

1.そもそも日本人は色彩感覚が白人に比べて生まれつき劣っている。これは絵を見ればよくわかる。
白人は8世紀から色彩画であるのに対し、日本では今でも基本的に水墨画の世界。白と黒が中心です。ですから赤とか黄色とか青とかの、色を使いこなす能力自体が日本人は低い。

2.洋服は白人の体型・骨格に合わせたものであるので、日本人には元々合わない。洋服は手足が長く、骨太の骨格に似合うようにできている。女性の場合はこれに肉付きのいい、という条件が加わる。

3.日本人は一般的に背筋がピンと伸びている人が少ない。前傾で首がうなだれている。そしてガニ股・チョコチョコ歩きをする。つまり颯爽とした雰囲気が少ないので、いくらいい服を着てもそれが生きない。


結論として、日本人は洋服を着てはいけない、洋服を着て似合おうとする事自体が無謀な試みである、という事になります。
かと言って、今から着物に逆戻りというのも無理があります。着物が致命的なのは行動的でない、という点です。

誰か、日本人に合う新しい服を考案、デザインしてくれませんか。あの日本人には1000人に1人もいない体型・姿勢のモデルに似合う洋服をいくら作っても、フツーの日本人にはやはり似合わないのです。
地図の国?ニッポン

日本を走っている車のナビの搭載率はどれくらいなのでしょうか。乗用車はひょっとしたら50〜60%、商用車でもかなりの率で搭載されている感じです。
アメリカではナビの普及はなかなか進みません。地図がなくても簡単な道案内だけで目的地に行けることから、その必要性がそれ程高くないのが最大の理由ではないかと思われます。

何かの道案内、住所案内をする場合、日本は必ずと言っていいくらいに地図を用います。アメリカで地図で案内をする事は非常に稀です。
日本では駅を降りると駅前に駅周辺の地図が大きく掲げられており、街の様子が一目でわかるようになっています。街中でもあちこちに地図の看板があって、店とかの位置が地図で表されています。

オハイオでは地図の看板を見かける事はありません。
日本はこのようにどこに行っても地図であふれています。日本人は普段から地図に親しんでいたので、ナビの使用に対してこれを使う事のメリットを感じ、そしてそれをすぐに利用できたのだと思います。

アメリカでもたまに位置を示す図(正確には地図ではない)が使われる時がありますが、非常に不正確です。と言うより道路などを表す線が数本引いてあって、目的の場所が矢印で「ここ」って感じで示されているレベルが殆どです。
これも地図を使わない、使い慣れていないことから来ていると思います。
日本は場所を表すのに地図を使う国です。日本はどこに行っても地図であふれています。

それと国土地理院が発行する5万分の1の地図、あのようなものが誰でもどこでも買える国は日本以外ないと考えて差し支えありません。どこの国でも地図は最重要な軍事情報という位置付けですから。
日本に時々来て、以前より強く感じるようになった事の一つに、「どこに行っても日本語が通じる。」、というのがあります。
会社ではオハイオ人と会話をしたり、英語の文書を読んだりする訳ですが、言いたい事・理解しなければならない事の3分の1以下しかできていない、という状況は日常茶飯事です。これが気が付かないうちに、大きなストレスを溜めているのを感じるようになってきました。

アメリカ生活が長くなればなる程、英語の環境には慣れてくるはずなのですが、私の場合慣れよりもストレスの方が上回っているという感じです。日本に行って何か用事をしたり会社で会議をやった後は、オハイオで感じる独特のストレスがない事に気が付くようになりました。

オハイオ生活では言葉の障害は、一部の人を除いて宿命です。悩んでも仕方のない事はわかっています。
しかし日本に行った時にどこでも日本語で用が足りるという当たり前の事に対し、その心地よさを最近強く感じるようになりました。
ナゼかわかりません。ちょっと不思議です。
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