イタリア (その1) 0907
今から25年以上前、初めてヨーロッパに出張に行った時のこと。
スイスの現地法人のスイス人とジュネーブ郊外のレストランで食事をしながら、彼は遙か山の向こうに見える街の光をを指さして、「あれはイタリアの灯です。」、と言いました。これが私が生まれて初めて”見た”イタリアでした。

イタリアは音楽、芸術、古代ローマ遺跡、その他いろいろな方面で私たちに馴染みがある国で、観光でも人気のある国の一つです。
私も大変興味のある国で一度は行ってみたいとずっと思っていましたが、今回とうとう行く機会を得て7泊8日という限られた日程ではありましたが、イタリアを垣間見る事ができました。

写真にガイドさんの説明、パンフレットの説明、私個人の感想を加えて旅行の一部を紹介します。
先ず、腹ごしらえから

ホテルでの朝食はツアーメンバー42名+添乗員さんの合計43名で一斉に開始です。
メニューは万国共通のパン、卵、ベーコンまたはハムです。

パンは皮がカチンカチンに固い丸いパンがあり、「ちぎれない!」、とか叫んでいる方が見えましたが、これは手でちぎるのではありません。
ナイフをノコギリのように使って、ガリガリと切り取って食べます。
バチカン美術館:入り口

ホテルからバチカン市国まで2〜3kmくらいです。
バチカン市国は面積が約0.5平方キロで、東京デズニーランドより小さい”国”です。

いろいろと説明がありましたが、要するにカトリック教の総本山、と言えばいいようです。

バチカンは一国とは言え入国審査もないし、国家のインフラである警察とか全部をイタリアに頼っているし、???がどんどん出てきて頭が混乱するので考えるのを止めました。
バチカン美術館:ビーニャの中庭

ビーニャとは”松ぼっくり”の事で、巨大な松ぼっくりがデーンと飾られています。。

松ぼっくりはバチカンのシンボルだそうです。少々ユーモラスでもあります。

観光客はスペイン語(イタリア語、ポルトガル語かも知れませんが)、たまに英語、時々ロシア語なんかも聞こえてきます。
バチカン美術館:天井

全体はいくつかの区画に分けられており、全部見るには丸1日をかけても足りないくらいの規模です。

ここの案内はイタリア人ガイドによる説明で、日本語のレベルが低く、30%も理解できませんでした。

イタリアではこういう場所(一般観光地を含む)では現地ガイドを雇う事が義務付けられているそうで、私達のような大人数の場合は2名の現地人ガイドを強制的に雇うことを要求される場所もありました。
バチカン美術館:天井画

館内、回廊とも見学者でごった返しており、ガイドのイタリア人男性の訳のわからない日本語がワイヤレスマイクから発信されて、耳にかけたレシーバーから流れるだけで、一体何を見学しているのかわからなくなってしまいました。

ただここの天井画と壁画は注目すべきで見事なものです。
全部旧約聖書を題材にした作品です。
バチカン放送局

「マドノソトヲミテクダサイ、アレバチカンノホウソウキョク、タンパホウソウハユウメイネ、、、。」
(窓の外を見て下さい。見えるのはバチカン放送局で、短波放送で有名でした。)

聞くだけで疲れます。今日からこんなガイドだと思うと憂鬱になってしまいました。

バチカン放送は短波で昔は日本語放送もやっていました。
ラジオ少年だった私は、手製の短波受信機で聞いた事があります。
バチカン図書館

約120万冊の本と約10万点の文書があるそうです。本等は通路の左右に並ぶ箱の中に入っていたそうで、今は別の場所に整理、保管されています。

「モクテキガハキリスレバ、ダレデモココノホンハツカエマス。」
(目的がはっきりすれば誰でもここの本は使うことができます。)

これは本当で、本等の一部は写真撮影されており、閲覧申請ができるそうです。
バチカン市国の町並み

町並みはローマと何ら変わりません。
バチカンはほんの一部を除いて城壁で囲まれているので、自分がローマにいるのかバチカンにいるのかわかります。

天気は晴れ、気温はグングン上がって軽く30℃は超えている感じで、汗が噴き出てきます。

地中海性気候で暑くても湿気がない、という事でしたがそんなのウソだい!
テベレ川

ローマ市内を南北にうねって流れる川です。

ローマ帝国などの遺跡の大部分はこの川の東側の数キロ四方に集中しており、観光をするエリアはそんなに広くはありません。

健脚であれば地下鉄を利用するだけで、殆どの有名どころは回れる感じです。

この日はサンピエトロで午前中は公式な催し物があったので、予定を変更してサンピエトロは午後にして先にコロッセオに向かいました。
コロッセオ(1)

ローマと言えばコロッセオ、コロッセオと言えばローマ、それくらい有名なところです。

コロッセオは円形闘技場で、AD80に完成、ここでは人間対人間、人間対猛獣の殺し合いのショーが行われ、45000人の観客が入場できる規模があるそうです。

コロッセオが解体されたような形になってしまったのは、長い期間を通じて、ここの石材を他の建築用に流用したからだそうです。
コロッセオ(2)

しかし人間と人間をどちらかが死ぬまで闘わせて、それを娯楽ショーとして観戦をしたというのは、現代人、イエ日本人には理解が難しい事です。

剣闘士は主として戦争で捕獲した捕虜、奴隷からなっていたらしいというのは映画の”スパルタクスの反乱”を見るとよく描かれています。

古代東洋にこれと同じようなものがあったかどうか、私の知る限りではノーです。
トレビの泉(1)

映画の”ローマの休日”にも出てくる有名な場所です。

バスを降りて5分くらい歩いて到着。もうこれだけで汗びっしょりです。
到着すると観光客でごった返していました。

やはり古代ローマ時代に作られたものらしいのですが、今の形になったのは18世紀だそうです。
トレビの泉(2)

後ろ向きにコインを投げると願いが叶うという言い伝えで、1枚投げると再びローマに来ることができ、2枚は大切な人と永遠に一緒にいる事ができ、3枚だと夫、妻と別れる事ができるというものです。

しかしこれだけの人が次々にコインを投げ入れるのだからすごい金額になるのだろうな、、、等とふと考えてしまいました。

私は一応25セントコインを1枚を投げ入れておきました。
そろそろ昼食時間です

これだけ混雑している観光地で42名がゾロゾロと移動すると、結構長い距離になります。

現地ガイド・添乗員さんはワイヤレスマイクで説明とか集合時間などの指示を出しますので、電波の届く範囲であれば群れからはぐれる事はありません。

グループツアーはいろいろな国から来ていましたが、このような新兵器を使っているのは日本人のグループツアーだけでした。
昼食

この日の昼食はピザ。直径が25cm以上あるのが1人1枚ずつ出てきたので、最初はギョッとしましたが、厚みが数ミリしかないタイプで、納得。

食事には飲み物代は含まれていませんので、これはその都度支払い必要があります。

水、ソフトドリンク、ビールなどそれぞれ3〜5EUROで円換算するとエライ高い感じです。
サンピエトロ聖堂(1)

食事後再びバチカン市国に行って、サンピエトロ聖堂に入ります。

着いて、みると炎天下に長蛇の列です。食事の時にビールを飲んだのでそれのせいか、立っているだけで汗が噴き出てきます。

列ができるのはX線による持ち物検査があって、機械が3台しかないからです。

しかし何でこんなに暑いのかなー、、、。
サンピエトロ聖堂(2)

炎天下の行列で15分、X線検査では”ビー”となってNG。ベルトを外してOK。
やっと入り口にたどり着きました。

しかしもう一つ関所があるのです。服装チェックです。
(うんと短い)半ズボン、サンダル、ランニングシャツ(女性はノースリーブ)は入れません。

結構ここの関所でリジェクトされてブーブー言っている連中がいました。
せっかく15分も炎天下で並んだのに、ゴクロウサマ。
サンピエトロ聖堂(3)

これは世界最大の教会建造物で、総本山の偉容を保っています。
今のものは2代目で最初はAD4世紀とか言ってました。

2代目の完成は1626年と言いますから、、、エーッと日本で言うと、、、3代将軍家光の頃?くらいかな?

慶長遣欧使節団の支倉常長はこれを見たのかな、、、。
我が社の製品ユーザー

サンピエトロ大聖堂から共和国広場に向かい、ここで下車。グループツアーというのは1日1回必ず指定の土産物屋に行くのです。
(この日はローマ三越)

バスを降りた瞬間目の前に我が社のイタリア工場で作っているバイクのユーザーを発見。
そこで即席の自己紹介をして、感想を伺いました。

残念ながらあまり英語ができませんでしたが、ものすごく感じのいいべっぴんさん!!
写真を1枚撮らせて頂きました。
スペイン広場(1)

ここも映画”ローマの休日”に出てくる有名な場所です。
オードリーヘップバーンが、ジェラートを食べながら座っていた階段です。
現在はここでの飲食は階段などを汚すという事で禁じられているそうです。

この頃になると急に空が暗くなってきて雷がゴロゴロ。夕立がきそうな雰囲気になってきました。
スペイン広場(2)

階段の下の広場にある”バルカッチャの噴水”(船の噴水)です。
階段は1725年の完成で、日本で言うと江戸中期の頃です。

ナゼかこの付近は特に中国人の観光客が目立ちました。
中国人はどこでも大声でしゃべるので、すぐにわかります。
スペイン広場前のブランドショップ

スペイン広場前から先に伸びる道路沿いは観光客用のブランドショップが続きます。

この通りに入ったのと同時に大粒の雨が降り出し、グッチの店で雨宿り実に1時間。店の品物全部見尽くしました。

1日目の観光はここでおしまい。雨が上がった6時半に階段上に集合、ホテルに戻りました。

暑かったのですが、楽しい1日が終わりました。
観光2日目:早朝のローマ市内
2日目は全員が同じ行動ではなく、複数のコースに分かれます。
私達は”ナポリ、ポンペイ遺跡見学”に行くことにしてありました。

ホテルを6時30分に出発して、他のホテルに宿泊している観光客をピックアップしてナポリに向かいました。
朝が早かったので、食事ができないため、ホテルでパンとジュースを受け取り、これを朝食代わりに食べました。
トイレ休憩の土産物屋(1)

ヨーロッパではトイレ休憩にサービスエリアに入ると普通有料トイレしかありません。
つまりおしっこをするのに50C〜1EURO(75円〜150円)を払わなくてはなりません。

グループツアーではトイレ休憩でこのような土産物屋に入り、土産物を物色がてら、おしっこを済ませます。

土産物屋は予め決めてあって、大抵の場合日本人従業員がいます。
トイレ休憩の土産物屋(2)

おしっこを済ませると、やはり何か飲みたくなります。私はここでエスプレッソを飲んでみました。

同じグループの他の人達を見ると、何かを飲んだり、お土産を買ったりしております。
店員さんも日本人がいるので、言葉の心配もありません。

バスに乗り込んで出発しようとすると、別のバスが入ってきました。
間もなくナポリです

イタリアだけではなく、ヨーロッパの道路を走っている車は殆どが小型車です。
駐車スペースが日本と同じように非常に限られているのが大きな理由のようですが、それ以外に省エネ志向、経済的な理由等があるようです。

フリーウエーは大体100〜120km/hくらいで流れています。
日本車は殆ど見掛けません。
ナポリ:ヌオーボ城

カブリ島に行くメンバーを降ろすために、ナポリ港ので一旦停車します。

ポンペイに行く私達もバスを降りて、港の付近をブラブラ散歩してみました。

ナポリというと先ず思い出すのがジリオラ・チンクエッティーの”ナポリは恋人”。
私が中学生の頃に大ヒットした曲です。

そのナポリに自分が来ている、少々感激であります。
ナポリ:クルーズ船

5〜10万トンクラスのクルーズ船が何隻も入港していました。

これらの船は地中海をクルーズしながらあちこちに入港して観光をするのです。
費用は思ったより高くはありません。(もちろん船室のクラスによりますが。)

観光地にこれらの客が団体で押しかけると、やはり大変な混雑になるので要注意、と添乗員さんが言っていました。
ナポリ:ナポリ湾

卵城の西からの眺めです。沖にはクルーザーとかヨットが見えます。
素晴らしい眺めです。

ナポリの市内は結構治安が悪いエリアがあり、スリ・引ったくりの類も多いようです。

ナポリ港は大きな埠頭があり、貨物船も多く入港しています。
港の西端は軍港になっているようでした。
ナポリ名物、カメオ

昼食のレストランに行く前に土産物屋に連れて行かされました。
お土産と言ってもカメオのお店、従って非常に高価です。一個数万円から数十万円という価格です。

ここで売られているのは貝殻に掘り出したシェルカメオで人物以外に花模様のカメオもありました。

ここにも日本人がいて、売り込んでいました。ナポリのカメオは非常に人気が高いようです。
ポンペイの前に腹ごしらえ

ボンゴレです。
貝の身がもう少し大きければ最高なのですが、ちょっと小さかった!
(浜で育った私は魚とか貝にはうるさい。)

ボンゴレって深川飯のイタリアン・バージョンと思えばいいのですかねー。

(我が祖国) ご飯+あさり=深川飯
(イタリア)  パスタ+あさり=ボンゴレ
ポンペイ遺跡見学(1)

ナポリの街から30分ほどでポンペイの遺跡に到着です。

ポンペイはAD79にベスビオ火山の噴火による大量の火山灰に街が埋まってしまい、18世紀から徐々に発掘が始まり、現在は町の主要な部分は殆どが発掘が終わったというところです。

ここでもイタリア人現地ガイドのジェイムズさんが日本語での説明となりました。ジェイムズさんの日本語はまあまあで、70%くらい理解できました。
ポンペイ遺跡見学(2)

ポンペイの町は碁盤の目になっておりメインの通りは5m以上もある広い通りです。

ポンペイは消滅する時点で人口が2万人程度と言われており、消滅時点のまま全く変化が加えられていない、非常に研究価値のある町だそうです。

気温は確実に30℃を大きく超えており、日陰もなく汗が噴き出てきます。
ポンペイ遺跡見学(3)

道路は石で舗装されており、雨が降ると雨水は石と石の間を流れて水溜まりができないようになっています。
そして排水も十分に考えられています。

浴場もあり、その前には居酒屋のような店まであって、ワインと食べ物を売っていとのではないか、という事です。

ナルホド、風呂上がりの一杯を当時もやっていたのですね。
ポンペイ遺跡見学(4)

これは道路の交差点の近くに設けられた水飲み場です。

出っ張ったところから水がチョロチョロ出ていたそうですが、どういう理屈で水が出ていたのか聞くのを忘れました。

水道管は鉛の水道管が今と同じようにう使われており、実に驚きです。
ポンペイ遺跡見学(5)

ここは町の中心部の公共広場で、ここは歩行者天国つまり馬車などが入れない場所だったそうで、進入禁止の石が道路にありました。

またこの広場は右に見える大理石の大きな柱に囲まれていたそうで、なかなか壮観な広場だったようです。

背景にちょっと雲に隠れたベスビオ火山が見えます。
ポンペイ遺跡見学(6)

大噴火に伴い発生した二酸化硫黄で多くの人が窒息し、その上に火山灰が積もって、灰は固まってしまいました。

但し、人間の部分だけは空洞で残ったので、ここに石膏を流し込んで、苦しんで死んでいく人間の姿を再現したそうです。

遺跡にはナゼか野良犬が一杯おり、全部暑さに息も絶え絶えになっていました。
ポンペイ遺跡見学(7)

円錐形のものは小麦を挽く石臼です。右端にはカマドがあり、竈の中からは焼いている最中のパンが出て来たそうです。

水道に、道路の排水、歩行者天国に居酒屋、何だか今とあまり変わらないような生活をしていたように思えてなりません。

しかし、この暑さはもう限界です。この暑さで脱水症状を起こす人もいるのではないでしょうか。
ボンベイ遺跡見学(8)

発掘された市街地を出て、ここでイタリア人現地ガイドのジェイムズ君と別れて、秘儀荘を見学して、やっと休憩をする事ができました。

ポンペイの消滅は今でも起こり得る事で、特に火山国の日本ではその確率が高いと言わざるを得ません。
死ぬ寸前のもがく姿の石膏像と火山の噴火が現実のものにならなければいいのですが。
イタリアの松

ポンペイ遺跡見学を終わり、ローマに向かってバスは走り出しましたが、途中で嵐のような豪雨に見舞われ一瞬何事かと思いましたが、ローマ郊外に着いた頃は、この嵐もウソのように止みました。

ところがこの竜巻のような豪雨がローマ市内の無数の立木をなぎ倒し、この木が道路を塞ぎ、ローマ市内は大渋滞になっていたのでした。。
大渋滞

立木が道路を塞いだだけでなく、浸水で道路の封鎖も出てしまい、車は全く動かない状態。

警察の姿も見えず、バスの運転手はあちこち走り回って解散場所である共和国広場に向かおうとしますが、殆どお手上げ。
立木が倒れて直撃されている車もありました。

それでも予定時間を2時間過ぎた9時半頃、何とか共和国広場にたどり着きました。
夜の共和国広場

バスを降りた私達はOKさんご夫妻と近くのレストランに入り、ビールを一杯、そして食事。
やっと生き返りました。

食事を終えたのが10時半過ぎ、ホテルまでタクシーを飛ばしてホテルに帰ったのは11時前でした。

長い1日でした。
ローマからフィレンツェ

このホテルは3泊しましたが、部屋のエアコンはあまり効かず、冷蔵庫に至っては全く冷えないというお粗末なホテルでした。
(部屋を変わるのも面倒だったので、そのままにしましたが。)

外には白人のグループが群れていたので、それとはなしに近くに行って言葉を聞くと(多分)ロシア語を話していました。
山の上の町

この日はフィレンツェにまでの間に2カ所寄って観光をする事になっています。シエナとサンジミヤーノです。

車窓からはイタリアの田舎風景が広がります。
このような山に築かれた町は中世そのままの姿ではないかと思います。

当時の町、建物の中に現代イタリア人がまだ住んでいるのです。
シエナ(1)

ローマを出発して2時間あまりで到着、ここは11世紀頃から栄えた都市です。ローマの北西、フィレンツェに近いところです。
駐車場から歩くこと10分、もう汗だくです。

やはりここでも現地ガイドを雇う規則になっているようで、年配の女性がガイドとして現れました。
説明は日本語ではなく英語で、これを添乗員が通訳をするという形で行われました。
シエナ(2)

町の中に入ると、いきなりパレードに出くわしました。何のパレードなのか、説明があったのですが覚えていません。

パレードというのは観客も見て楽しむのですが、やっている方はもっと楽しむというパターンが多く、このパレードもオジサン連中、かなりはしゃいでいました。
シエナ(3)

私はお酒を飲みますが、甘い物も少しだけ食べます。
でもアメリカのお菓子はドーナッツをほんの少し食べるだけで、基本的にあまり食べません。
理由は大抵の場合甘すぎるからです。

この町で見掛けたこのお菓子、確かパンフォルテとかいう名前だったかな?(間違っていたらゴメン)
なかなかおいしそうな感じでした。

イタリアでは女より男が甘い物をよく食べるそうです。
シエナ(4)

ここのドウモは大理石でできた非常に立派なもので、12世紀から14世紀にかけて作られました。

イタリアのこういう建築は50年とか100年とかかけてコツコツと作っていくのですね。
日本ではそういう発想は全くなく、対照的だとつくづく思います。

シエナは商業と銀行でフィレンツェと勢力を争い、このドーモはその勢力の象徴であったと説明がありました。
シエナ(5)

ローマを建国したのは狼に育てられたロムルスとレムスの双子であるという伝説で、ドオモの階段を上がったところで像を見つけました。

狼にナゼ育てられたのかといういきさつは、長〜〜い神話がありますが、私には覚え切れません。

この狼と赤ん坊の像とか絵画はあちこちで見る事ができます。
シエナ(6)

ドーモの中は非常に立派です。いつもの事ながら、よくもここまでのものを作ったものだと感嘆あるのみです。

このような莫大な労力と資金をつぎ込んだ建物の目的は、キリスト教という宗教的な楔を人々の心の中に打ち込むためであったのか、非常に興味深いものがあります。

つまりこのような建築物の周りで何百年以上も生活するという事は宗教が彼らのDNAに刷り込まれていったという事ですかね〜。
シエナ(7)

シエナは14世紀にヨーロッパ全土を襲ったペストによって、またフィレンツェとの戦いに敗れて衰退していったそうです。

14世紀のペストの流行ではヨーロッパの人口の1/3以上、半分近くが死んでしまったということですからスゴイ。
ペストが流行った時、魔女の手先だとして、猫狩りをやってしまい、ネズミが増えて一気に流行したとか、昔本で読んだことがあります。
シエナ(8)

この広場の名前はカンポ広場。カンポ、そうです簡保なので直ぐに覚える事ができました。
非常にきれいな広場で、広場は貝殻の形をしています。
それで少しすり鉢状になっているのですね。

ここでボーっと広場を眺めていたら3組のカップルに写真撮影を頼まれてしまいました。
シエナ(9)

シエナの路地。最盛期は7万人の人が住んでいたそうです。フィレンツェとの戦いに敗れたせいでこの中世の町並みが残ったのかも知れません。

しかし、です。この家々、当時は家にはトイレというものがなかった。
ではどうしていたか、そうです、窓から道路にジャーっと”おまる”の中の物を捨てていた、、、。

すると毎朝どういう状態になっていたか、、、ウーン、壮観というか壮臭というか、、、。
サンジミヤーノ(1)

ここは世界遺産に指定された丘の上の小さな町です。城壁に囲まれており、城壁の門をくぐって町の中に入ります。

門をくぐると中世の世界にタイムスリップします。
これでもし観光客がいなかったらどんな雰囲気でしょうか。
中世のイタリアの人ってどんな暮らしをしていたのか、普通の人はどうだったのか、知りたいと思いました。
サンジミヤーノ(2)

左右は石造りの建物が続きます。
こういうy町を訊ねて驚くことは、今でもこの建物の中に普通の人が住んでいる事です。

日本で言えば平安時代とかの建物に現代人が住んでいる事になります。やはり石で出来た家だから何年でも使えるのですね。
日本の家は木と紙と泥でできている訳ですからこうはいきません。

実際に家の中はどうなっているのか、どんな感じなのか、この目で見てみたいものです。
サンジミヤーノ(3)

広場に向かう途中で見えた風景です。テレビのアンテナとか避雷針が家の上にある以外、この風景も何百年も変わっていないのでしょう。

今回のような駆け足旅行ではなく、ゆったりと時間をとって訪れるところかも知れません。

町の一番奥には展望台(実際は敵の動きを掴む見張り台)がありここからの眺めも抜群でした。
サンジミヤーノ(4)

ここは四角い塔がいくつもあり13世紀の頃には72本もあったそうです。塔は貴族達の権力の象徴として建設されたそうです。

塔の中には上ることを許可されているものあり、景色はきっと素晴らしいに違いないと思います。

この日も気温は高く、汗だく。私はタオルを首に巻き全くの日本スタイル。
(カミさんはこのスタイル、もの凄く嫌がっておりましてけど。)

水は町でも売っていますが、バスの運転手が大量に水を仕入れて冷やしたものを1EUROで売ってくれますので、これを買います。

またバスは駐車場に停めてあるときはエアコンを入れないため、観光が終わってバスに乗り込んだときは蒸し風呂状態になっており、参りました。
サンジミヤーノ(5)

坂を上りきった付近に広場があり、その隅の方には井戸がありました。

ここは派手さはない町ですが、普通の中世のちょっとした町ってこんな感じだったのだろうなー、と思わせる素朴な雰囲気がありました。

この後自由時間をはさんでバスに戻り、この日の最終目的地のフィレンツェに向かいました。
フィレンツェのホテル

サンジミヤーノから1時間ちょっとでホテルに到着。

最初に指定された部屋に入ってみると、もの凄いタバコの臭い。
(そう言えば、JTBのツアーはホテルの部屋に関して禁煙・喫煙の希望を聞きません。)
即部屋を変えてもらいました。

今度のホテルはローマと違って、部屋のエアコンと冷蔵庫は少しだけ効きました。
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