夏の函館:11−08
函館ってどんなところなのでしょうか。港があって北の海の幸が溢れ、酒飲みには堪らないところ?
それだけではなく、明治維新では北海道の独立を目指した旧幕府軍と政府軍の大きな戦いがあってたくさんの人が戦死したところ。
北海道だから冬は寒い、でも夏は本州とは比較にならない過ごしやすいところ。よし函館に行ってみよう!

そんな訳で長い休みは無理なので、2泊3日の日程で7月20日〜23日を予定していたら、台風が来て飛行機が全部キャンセルになってしまい、結局行けたのは2週間後の8月3日〜5日になってしまいました。

北海道自体が私にとっては37年ぶり、短い日程ではありましたが大いに楽しんできました。
名鉄にてセントレアまで

函館には函館空港ではなくJALにて新千歳まで行ってスーパー北斗とかいうかっこいい名前の電車で行きます。

フライトは0900で自宅を朝出ても十分に間に合いますが、空港のホテルに前泊をしました。
私は前日は武豊の取引先まで出張だったので、仕事を終えてそのまま近鉄でセントレアに行きました。

電車でセントレア空港に行ったのは初めてです。
空港で夕食です

カミさんは空港までは津から高速船で来ており、ホテルチェックインのあと空港のレストランで夕食です。
下の娘は夏休みで授業がないという事でカミさんといっしょに空港まで来て、3人で食事をして帰っていきました。
一路新千歳へ

セントレアから新千歳までは1時間半ほどのフライトです。シートは100%埋まっている感じでした。
やはり夏休みのせいでしょうか、子ども連れが目立ちました。

飛行機は津軽海峡の上を飛んで、北海道に入ります。津軽海峡にはブラキストン線というものがあると昔から聞いていますが、どこにも見えません。
おかしいな〜、、、。
(見えるわけないだろ!)
新千歳空港から南千歳へ

空港にはJRが入っており、ここでJRの切符を買います。
全てインターネットで予約済みなので楽です。

でも函館に行くのに、ナゼ直接函館空港に行かないの?と聞かれそうです。
理由は2つ、JALがキャンペーンをやっていたのと(JALはセントレア→函館便がない)、コトコトと列車に揺られたかったからです。
日元とは?

南千歳ではスーパー北斗への乗り換えに、1時間半くらいの待ち時間があり、駅には何もないので近くのアウトレットモールに行ってラーメンを食べました。

値段を見ると500円/500日元とあります。日元?
そうです。中国は円の事を”日元”といい、USドルの事を”美元”、ユーロの事を”欧元”と言うのです。

彼等は世界中どこへ行っても”元”なのです。
円は円で、日元ではあり得ないのですが、ラーメン屋のメニューには日元って書いてありました。
南千歳から函館まで(1)

2週間前の予約の時は、既に普通車の指定席はなくなっており、大枚4000円を払ってグリーン車の指定席を確保しました。
横は3列で、さすがにゆったりとしておます。

グリーン車には中国人はいないだろう、と思っていましたが甘かった。
私達の前の席は中年の中国人夫婦でした。
南千歳から函館まで(7)

列車はずっと海岸線沿い、というよりも時には海岸線から10〜20mも離れていないのではないか、というような場所を延々と走ります。

風景を眺めたり、本を読んだり、ピーナッツを食べたり、居眠りをしたり、完全なリラックスモードでの旅です。
シートもリクライニングが使えて快適です。
函館到着

列車は出発が18分遅れで、結局到着は20分遅れで4時頃になってしまいました。

グリーン車のお陰なのか、ワイワイ騒ぐ子どもとか、中国人の団体もいなくて比較的平穏な列車の旅を楽しむ事ができました。

改札を出て右に曲がって1分で函館名物の朝市が行われる一角、さらに2分歩くと宿泊するホテルで、大変便利なところになります。
函館港祭り(1)

今日は五稜郭を見学する事に決めていたので、路面電車に乗ろうと停留所まで行くと、電車は走っていないとのこと。どうして?

何と8月1日(月)から5日(金)までは函館港祭りで、今日の会場は五稜郭方面らしい。

という事でとりあえず代行バスに乗って五稜郭方面に向かいます。

着いてびっくり。よくもまあ、これだけの人が集まった、というくらいにたくさんの人、人、人です。
函館港祭り(2)

ここに来たのは五稜郭をじっくりと見学するのが目的ですから、お祭りを横目で見ながら一の橋、二の橋を渡って中に入ってみました。

時間は既に5時半を過ぎており、奉行所の見学も何もできません。そこで北側から土塁の上を歩いてみる事にしました。

土塁の外側は堀になっていますが、実際に歩いてみて五稜郭自体は堅牢な城、という造りではないことがよくわかりました。
函館港祭り(3)

大通りに戻るとお祭りはたけなわ、各団体・チームは30人から大きなものでは250人というものまでありした。
それぞれ御輿を担いだり、花車を引いたり、実際の自動車に飾り付けをしたりそれぞれ趣向を凝らしていました。

私達が見たのは市役所のチームで、各部単位で出し物を披露していました。
函館港祭り(4)

本部席前。
この右手の少し高いところに高見席が設けられており、市長さんが紹介されていましたが、真っ赤な顔をしてかなり酔っ払っている感じでした。

道路脇には焼き鳥、焼きそば、ビールなどを売る店がひしめいており、お祭りの雰囲気を盛り上げておりました。

私もビールを飲もうかな〜、と思いましたが歯止めがかからなくなってもマズイので、ぐっとガマンをして飲むのを控えました。
札幌港祭り(5)

TV局のレポーターのオネエサン達。
ライトを浴びておばあさんと、その孫らしい男の子が2人のレポーターに食い付かれておりました。

道路脇の歩道にはゴザをしいて、みんな座り込んで、串焼きか何か食べながらビールとかお酒を煽っていましたが、狼藉をはたらきそうな雰囲気の輩は見掛けませんでした。

函館市民は節度をわきまえているようです。
夕食で入った居酒屋

代行バスに乗って再び駅に戻ってきた私達は人でごった返している居酒屋に入ってみました。

店の中は満席状態。やっとの事で2人分の席を確保してもらいました。

刺身各種、ほっけ、焼きエビ、厚揚げなどを注文してビールで乾杯。
イヤー、旨かった!それに半端じゃない量で出てきたのにはびっくり、写真を撮るのを忘れてしまいました。
2日目の朝

私達の泊まったホテルは宿泊費の中に朝食代も含まれています。結構有名な全国チェーンのホテルです。
私はこのホテルにはあまり泊まった事がありませんが、カミさんはよく泊まっています。

無料の朝食ってどんなものが出されているのか、ちょっと覗いてみました。
全く普通の朝食でした。よくこの宿泊費で、ここまでできるものです。感心してしまいました。
朝市(1)

函館と言えば朝市、朝市と言えば函館、というくらい有名になっている、あの朝市です。

場所は泊まったホテルから歩いて30秒、つまり駐車場を挟んだ隣からずっと続いています。

タラバガニ、ケガになどがどっさり積まれて売られています。値段は数千、ちょっと気前よく買うと万札が飛んでしまう値段です。
朝市(2)

ここは生の魚介類、佃煮、海草、干物、何でも売っています。奥には野菜市場もあります。

市場は朝5時半頃から始まっており、昼前には閉めてしまうようです。
規模としてはそんなに大きなものではありませんが、それが逆にブラブラと歩いて見るのにちょうどいいのかも知れません。

歩いていて一瞬でも立ち止まると、オジサン、オバサン、アンチャン(ネエチャンはいなかった)の営業活動にあっと言う間に引っ掛かってしまいます。
朝市(3)

昨夜の居酒屋でほっけが出てきたときはちょっとびっくりでした。しっかり肉がついた特大のもの。
これが850円でした。

ここ朝市で同じようなサイズのほっけを見ると800円〜850円。
という事は、あの居酒屋には一体いくらで卸しているのだろう。
ここ朝市、値段は決して安くはない印象を受けました。
朝市(4)

そうそう、まだ朝飯を食べていません。
という事で海鮮丼屋に入ってみました。朝市会場の中には何軒もの店が朝定食とか海鮮丼を出しています。
せっかくだからという事で朝っぱらからではありますが、カミさんはウニ・イクラ・カニ丼を、私はウニ・イクラ丼を食べてみることにしました。

丼物というのは少し硬めに炊いたご飯がいいのですが、ここのお店はX.
あまり工夫をしていない感じでした。
朝市(5)

紅鮭が1匹8000円から10000円、ちょっと高いのですがこれはよさそうだと思いました。

私は今まで築地の魚市場、下関の唐戸市場に行った事がありますが、この2つとも本来の卸市場でそこに個人客が少し来ている、という感じですがここは違います。

殆どのお店が、観光用の見せ物市場です。
本物の魚市場は別なところにあります。
朝市(6)

市場の中を歩いているとこうやって試食をさせてくれるとkろが結構あります。
私も数カ所で試食をさせて頂きました。

このカニの足は身の詰まり具合が80%くらいで、今の季節としては仕方がない、と店のオヤジさんが言っていました。

ウマイ、ウマイって言うと、かにミソも試食させてくれました。電話くれれば地方発送も承ります、という事でどこのお店もちゃんと名刺を持っていました。
土方歳三最期の地(1)

函館駅から歩いて行けるところあるという事だったのですが、途中で地元のご婦人に道を聞いたりして結構歩きました。
(このご婦人は蕎麦屋の女将でした。)

戊辰戦争の最後の戦いが函館戦争で、この時に新撰組で生き延びていた土方歳三が榎本武揚と一緒になって戦ったのですが、その土方が戦死した場所に建てられた地碑です。
(土方が戦死した場所は六本木関門跡というところで、正確にはこの場所ではないそうです。)
土方歳三最期の地(2)

この地碑は函館市の総合福祉センター前の若松緑地公園というところの中にありました。

ここで池の鯉にエサをやっていた、多分この福祉センターの職員の方と思われる方に、市内の歩き方、行った方がいいところなどを親切に教えて頂く事ができました。
この日はそれに沿って見学をして、大変効率よくそして充実した日を送ることができました。
土方歳三最期の地(3)

この碑はあくまで土方が戦死した場所を弔うものでお墓ではありません。
ですからお花を添えたり、線香を焚くのはおかしい事で地元の人は決してそういう事はやりません、とその方は仰ってみえました。

函館はあちこちに「土方歳三」、「新撰組」、という文字があふれています。
土方歳三はともかく、新撰組と言えば私にとっては函館ではなく、やはり京都になります。
路面電車(1)

函館市内は大きく2系統の路面電車が走っており、数分間隔で頻繁に来るので非常に便利です。
普段は乗車する距離によって料金は違うようなのですが、お祭りの期間だけは一律200円になっていました。

また1日乗り放題券を600円で買うことができ、私達もこれを買って自由に乗ることにしました。
路面電車(2)

路面電車の運転手の特徴はオッサンが少ない事です。普通どこの地方自治体でもそこのバスの運転手とかはオッサン主体ですが、函館は私が見た限りちょっと違うイメージでした。

中にはこういう若いべっぴんさんの女性の運転中もいたりして、ちょっとびっくりしてしまいました。

オジサン的にはなかなか新鮮であります。
旧イギリス領事館跡

駅前から路面電車に乗り、末広町で下車。ここから基坂上っていくと途中、左側に旧イギリス領事館があります。
江戸時代の1859年にできたそうです。

建物の中に入るには300円の入館料が必要です。
裏庭に回ってみましたが、テラスのペンキは剥げて、芝生は完全になくなっており、殆どまともな手入れはされていない事が窺われました。
基坂からの眺め(港側)

坂を殆ど上りきった辺りからの景色です。
正面の建物とアンテナは海上自衛隊のもの、その向こうに緑の島、更に函館港が見えます。

この日は観光局も少なく(と言うか殆どみかけなかった)、心配した中国人の団体にも遭いませんでした。
でもあちこちに中国語/韓国語の看板が出ていますがら、既に相当汚染されているのでしょう。
基坂からの眺め(山側)

正面が旧函館区公会堂、左の建物が写真記念館と観光案内所です。

函館というとこの坂道と山の上にあるいくつかの古い建物、というイメージがありましたが、実にそのとおりです。

ここまでかなりの坂道を歩いてきましたが、汗は出るものの、湿気が少ないのでそれほど暑いと感じません。やはり北海道の気候なのですね。
函館の四天王

明治になって函館は旧藩の恩恵もなく、従ってそのしがらみ・束縛もなく、市民は市民は自主的にその経済発展に取り組んだそうです。

そう言った中でこの4人は重要産業の発展、教育・医療などの充実に多大な貢献をしました。
この4人がいなかったら函館は只の貧村で終わっていた可能性もあったそうです。

明治・大正には東京の文化は東北を素通りして北海道へ渡った、北海道とはここ函館を言う、という石碑の文章が強く印象に残りました。
旧函館区公会堂

明治43年に完成し、昭和57年に解体復元がされた建物です。
明治維新後40年でこういう西洋建築をきちんと建てるようになった日本人の技術はやはり大したものだと思います。

内部の見学は300円の入館料が必要です。
ここで初めて30人くらいの日本人のグループツアーに出会いました。
八幡坂

ここはテレビのCMとかによく使われるところだそうです。
またサスペンスドラマなんかでもよく使われるそうです。(サスペンスドラマというと渡瀬恒彦とか片平なぎさとか、ですかね。

真っ直ぐな坂、その先には函館港、青函連絡船の摩周丸、確かに絵にはなっている感じです。
カトリック元町教会(1)

この教会は何度も焼けて、今の建物は大正13年に再検されたものです。

あちこちの見学で私が困るのは、こういう場所に入るのも全部靴を脱がせる事です。
私は歩きやすくするために靴紐を強く縛っているので、靴を脱いだり履いたりは結構面倒なのです。

西洋建築で靴を脱いで建物に入るのは、やはり和風の精神が入っているからでしょうか。
カトリック元町教会(2)

教会の周りの芝生(多分以前は)の様子です。
写真ではうまく撮れていませんが、一面草とタンポポで覆われています。

普通アメリカとかヨーロッパではこういう状態の芝生は相当な貧民窟か、古い家の空き家でしか見ることができません。

函館でいくつもの西洋建築を見ましたが、全部庭はこういう状態でした。
アイヌの土産物屋

主としてアイヌの木彫りの民芸品を売っていました。
熊の木彫りが有名で、このお店にも一杯売られていました。
一つ買おうかな?と思って手に取ってみると、あの木彫りのずっしりとした重みが全くありません。まるで杉、いやバルサ材で作ったみたいな軽さです。

私が手の上で熊の木彫りをポンポンして遊んでいると、店のオヤジはイヤな目つきでじっと私を見ていました。
二十間坂を下りきったところ

人通りも少なくブラブラと歩いては一休みです。
観光客も少なく、確かにここの観光業の人達にとっては楽ではないことがよくわかります。

これの対策で中国人を呼び込もうとしていますが、
こういう連中が増えたら観光地は「荒れる」、のは間違いありません。
バブルの時、水ぶくれになった観光業界設備投資を見直せば日本の観光業は立派にやっていけると思います。
路面電車の中

カタコトと揺れながらゆっくりと走ります。

路面電車がなくなってみんなが車で移動するようになったら駐車場不足と交通渋滞が一気に起きて大変な事になりそうです。

それにしてもこれだけ頻繁に走ってくれると本当に便利です。
プロテスタント墓地

再び電車に乗って函館ドックまで。
ここで下りて、約800mの上り坂をテクテクと歩きます。
すると右手にプロテスタント墓地が見えてきます。

ナゼか墓地の前にはお地蔵さんが何体も並んでいます。不思議な光景です。

この墓地も荒れ放題で、草ぼうぼうでした。
とてもじゃありませんが、西洋風の墓地とは思えませんでした。
靖国神社(10)

函館ドック前で路面電車に乗ろうとしたら道路工事をやっていました。

この工事をしばらく見ていました。仕事をやっているのはパワーショベルのオペレーター1名、後は交通整理1名(袋小路なので、まず何も来ない)、竹箒を持った男1名、監督らしい男1名、それと腕組みをして見ているだけの男1名の5名がおりました。

日本は効率を求めて仕事をしてはいけない国なのですね。
赤レンガ倉庫群(1)

函館ドック前から再び路面電車に乗り十字街まで戻って、赤レンガ倉庫群に行ってみました。
ここも函館を代表する観光スポットです。

正式には金森赤レンガ倉庫と言い、金森商船株式会社が所有しているそうです。

見た目は只の明治時代の古い倉庫が並んでいるだけ、という感じですが、ここもやはりTVの撮影によく使われるそうです。
赤レンガ倉庫群(2)

倉庫の中はショッピングモール、レストラン、ビアホールになっており雰囲気的には悪くはありません。

ただ売っている物は普通の物ばかりで、お土産にしても駅の売店でも変える物ばかり、という感じがしました。

とはいうものの、このようにお店が集まっているところに行くあてもないので、娘達へのお土産もここで買いました。
赤レンガ倉庫群(3)

時計を見ると1時に近いではありませんか。今日の昼食はここで頂くことにします。

朝食は海鮮丼を食べたので、お昼はオーソドックスに海鮮焼きそばにしました。
ボリュームたっぷりで大満足でした。

ウエートレスに地震の事を聞いたら、ここも床上まで浸水して何週間も営業停止をした、と言っていました。
五稜郭(1)

赤レンガ倉庫群の次は昨日十分に見れなかった五稜郭に再度行くことにしました。
十字街から路面電車に乗って20分、電車を降りてまず最初に五稜郭タワーに上ってみました。

やはり107mのタワーからの展望は素晴らしく、写真で見るのと同じ五角形をした城郭が見えます。
今日はお天気も良く、遠くまで見えます。
五稜郭(2)

南方面にある函館山をみますと山の頂上だけ雲に覆われています。
他は雲もほとんどない快晴なのにどうした事でしょうか。

この後に再びバスに乗ってケーブルカーで函館山の頂上に行く予定なのですが、少し心配です。
五稜郭(3)

20分ほど展望台からたっぷりと景色を堪能し、タワーを下りて一の橋、二の橋を渡って奉行所の方に行ってみることにします。

天気も良く、昨日よりも観光客はずっと多くいます。
堀の中を見ると大きなカメが悠々と泳いでいます。カメは縁起がいいという事なので写真を撮ります。

このカメ、私達が帰る時も同じ場所で悠々と泳いでいました。
函館奉行所(1)

1864年に完成しその7年後には取り壊されたという奉行所。
その後1985年から復元のための調査が開始され、2006年から実際の工事が行われ1年前の2010年に再現されました。

でも再現されたのは当時の1/3の1000uで、これでも全部で28億円の費用がかかったそうです。

建物は梁の構造まで見せており、昔の日本建築とはかくも素晴らしいものである事が素人にも伝わってきます。
函館奉行所(2)

見学は有料です。中にはいるとまだ白木の香りがほんのりとします。
入って右に曲がると当時の厠もちゃんと再現されています。
これを見ると私が子どもの頃、親戚のお寺の中に使われてはいませんでしたが、同じような厠があったのを覚えています。

日本は300年前から普通の家でも厠がありましたが西欧では100年ちょっと前まで厠はありませんでした。彼の有名なベルサイユ宮殿も厠はなかったと思います。
函館奉行所(3)

襖を開け放すと72畳の広さになる大広間です。
奥の方には表座敷もあり、文献などから可能な限り忠実に再現されているそうです。

こういう部屋は自由に見学ができるようになっていますが、和室は立って歩き回ってもその部屋の雰囲気は伝わってきません。

和室は座った高さから眺めて初めて趣がわかるというものです。
この奉行所は函館に行ったら必見の場所です。
たい焼き屋さん

五稜郭を後にして、函館山ロープウエーに乗るために再び路面電車で十字街へ。

途中でたい焼き屋があったので、カミさんは暖かい小倉あんのたい焼き、私は冷たいたい焼きを注文。
ところが私に出てきたのはカチンカチンに冷凍されたたい焼きがゴロン。
「数分で柔らかくなりますから。」

これには私もキレてしまいました。こんな冷凍のたい焼きが数分で柔らかくなるわけないだろう!
その場で返品、お金を返してもらいました。

函館ではたい焼きは食べないように。
箱館山ロープウエー(1)

この日は頂上はだけに雲がかかっており、行っても下界は見えそうにありません。でも一瞬ですが雲が薄くなる時がありそうなので上ってみました。

「現在、雲で下は見えません。よろしいでしょうか?」、と切符売りのオネエさんが全部の客に言っています。
きっと過去に文句を言った客とトラブルがあったのでしょう。何だかいやな世の中になったものです。
箱館山ロープウエー(2)

頂上に到着、外に出てみましたがやはり何も見えません。一瞬、ガスが薄くなって函館の街が見える時がありましたのでヨシとしました。

函館山は高さ334m、かつては陸軍の要塞で山に登る事はおろか、話題にする事も禁じられていた軍機の山だったそうです。

一瞬の山からの眺め、思い出せませんがどこか別なところで見たような構図でした。
箱館山ロープウエー(3)

そろそろお土産を買おうと思い、土産物屋に入ってみました。
知り合いに配る饅頭とか煎餅以外に、私は旅行記念になるキチンとした品物を1〜2品買うようにしていますが、このような物を殆ど見掛けません。

土産物屋には一杯いろいろと並べてあるのですが、子供用のキャラクターグッズとかそういう物ばかりです。
もう少し大人用のしっかりした土産物も置いて欲しいのですが、、、。
箱館山ロープウエー(4)

函館の街並みは見えなかったものの、40分くらい頂上をうろうろして再び下界に下りてきました。

ゴンドラから降りて上を眺めると、40分前よりガスが濃くなっていました。
ロープウエーの巨大なケーブルがガスの中に吸い込まれて、途中でプッツリ切れているように見えます。ちょっと不思議な感じがしないでもありません。
夕食(1)

さて2目の函館市内の見学も無事終わり、夕食の時間になりました。
昨夜の居酒屋に行くのもテですが、それではあまりにも能がなさ過ぎます。

駅前の丼横町の2階にある小さな居酒屋風レストランを覗きましたが客は数人、店員はやる気ゼロのスタイルが見え見えなのでパス。

そこで丼横町の目の前にある割烹風の居酒屋に入ってみました。
が、これが全くハズレの店でした。
夕食(2)

刺身を頼んだらその他のいろいろなもの(天ぷらとか)が出た最後に出てくるし、量は少ないし、高いし、いいとこなしのお店でした。がっかり。

店を出たのですが、ちょっとお腹に溜まるものを食べたい気分だったのでホテルの隣の居酒屋に入ってラーメンを一杯。
このお店、メニューを見るといろいろあって値段もリーズナブル。最初からここにしておけばよかった、、、。
青函連絡船・摩周丸

3日目の朝です。
札幌に向かう北斗は9時30分、しばらく時間があるので市場の裏にブラブラと散歩してみました。

そこにはかつての青函連絡船・摩周丸が係留され、静かに余生を送っています。
1965年から1988年まで就航しており、約9000トンの船ですが意外に大きく見えます。

内部は一般公開されていますが、時間が十分になかったので外から眺めただけでした。
さようなら函館山(1)

係留されている摩周丸横の桟橋からは函館港が一望、この日は函館山も山頂までくっきり見えます。
左の方には赤煉瓦倉庫、右手の奥にはプロテスタント墓地、昨日回ったところが全部一望です。

函館の見学は路面電車を利用すればあとは殆どが歩いて回れます。
昨日は軽く10km以上は歩いたと思いますが、湿気が少ない気候なので、汗でベトベトになるという事はありませんでした。
やはり北海道です。
さようなら函館(2)

2泊3日の短い滞在でしたが存分に楽しめました。この季節は一番のシーズンだと思うのですが、どこに行っても人でごった返すという事はありませんでした。

観光客の1/3くらいは定年になって現役を退いたと思われる夫婦で、ゆっくり観光を楽しんでいる様子でした。

今度はいつ来るかな〜、、、。
新千歳空港

函館から北斗号で車窓から風景を楽しみながら3時間、新千歳空港に到着です。
空港は人でごった返しています。どこも人、人、人です。チェックインカウンターも長蛇の列です。

ここで私は大失敗!
スーツケースの中に電源を切ってない携帯電話を入れ貨物室預けの手続きをしてしまったのです。
気が付いたのが早かったので、直ぐにスーツケースは回収できました。
でもどうして携帯電話をスーツケースに入れてしまったのだろう、、、。
新千歳からセントレアまで

飛行機は予定どおり4時半に新千歳を出発、6時ちょっとにセントレアに到着しました。
座席は満席、殆どが観光客風の人でした。

途中は1万メートルを飛ぶ飛行機より高い入道雲もあり、短い時間でしたが夏のフライトを満喫できました。

これから北海道の旅もどんどん行きたいと思います、、、。
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