ヨーロッパ(2)
前半の足掛け3日の最後はドイツのノイシュバンシュタイン城を観光して、スイスに向かいここで1泊、翌日は世界遺産のユングフラウヨッホに登り、そしてフランスに向かうというコースでした。
確かに全部で6日間で3カ国を廻るというのは結構忙しいスケジュールではありますが、欲張ったコースなので仕方ありません。

スイスのローザンヌからパリまではTGVにも乗るという貴重な経験をしました。個人旅行でTGVに乗るというのはなかなか面倒でできないのですが、ここはグループツアーの強味、至れりつくせりのコースに大満足でした。
ミュンヘンのホテルで朝食

ホリデーインの新築のホテルで宿泊、朝食も明るい食堂でした。
どこのホテルも朝食はバイキング方式で、気楽に食べる事ができました。

アメリカとちょっと違うのはパンで、皮を固く焼いたものが多いことです。
これをナイフでゴシゴシと切って食べなくてはなりません。
ノイシュバンシュタイン城(1)

ドイツアルプスのふもとに建つ白亜の城です。
1980年頃に17年の月日と巨費を投じてルートビヒという王さんが建てたそうです。

白鳥の城呼ばれていますが、確かにこの佇まいはただ唸るより他、ありません。
このお城はドイツロマンチック街道巡りをする中の、目玉の一つです。
ノイシュバンシュタイン城(2)

入場は1時間ごとに行われるので、これを城の入り口で待ちます。
日本人の団体さん、韓国人の団体さん、ドイツ人の団体さん、結構団体さんがおります。

説明はイヤーホンで聞きながら城内を見学しますが、何と日本語での説明があります。それ程日本人観光客が多いという事でしょうか。

そう言えば、ドイツは入国審査もアメリカのような犯罪人扱いの審査ではありませんでした。とにかくアメリカは最悪です。
ノイシュバンシュタイン城(3)

お城の中は撮影禁止だったので、残念ながら写真は1枚もありません。
19世紀後半に建てられたお城ですから非常にきれいです。

このお城で暮らすのは冬は結構寒かったのではないかと思われます。窓枠も結構風通しがよさそうでしたし、何しろ石の中で暮らすわけですから。

王様の寝室とか、読書室とか、下僕の食堂とかを約1時間かけて見学します。立派な調理場もありましたが、何かが足りない。
そうです、トイレと風呂場がないのです。

トイレは当時は全てオマルで済ませて、それをどこかにポイ、というシステムだった、とガイドさんが教えてくれました。
風呂場がなかったのは聞くのを忘れました。
ノイシュバンシュタイン城(4)

お城の中は写真撮影禁止でしたが、お城の中から外を撮るのは何ら問題はありません。

お城に入る前に渓谷に掛かっている吊り橋に行きました。これが実によく見えるのです。吊り橋の上には人が群がっています。

吊り橋は実は床板がかなり傷んでいてボロボロ。いろいろと考え出すとキリがありませんので、あまり考えずにスリルを味わってきました。
ノイシュバンシュタイン城(5)

お城から領民の土地はこのように見えます。
「ヨシヨシ、領民共よ、よく働いて年貢をきちんと納めろよ。」
王様はお城から領地を見下ろしながらそんな事を考えていたのですかねー。

これも実に眺めがよく、双眼鏡で覗くと領民達の車とか動き回っているのがよく見えました。
ノイシュバンシュタイン城(6)

お城は山の中腹(というよりほぼ頂上)にありますからここに行くには麓の町からかなりの坂道をバス、又はご覧のような馬車に揺られて行きます。
もちろん歩いてでも行けますが、45分以上かかります。

ここはシーズンとしてはやはり、秋の紅葉の季節が一番という感じがしました。
スイスに行く途中で昼食です(1)

ノイシュバンシュタイン城の見学がドイツ最後の場所で、ここからスイス(インターラーケン)に向かいました。
昼食時にグビッっとビールを飲むのにも娘達も、かなり抵抗なく慣れました。

時々ヨーロッパのビールは冷えていないのでは?という質問を受けますが、あれはイギリスでの話しでドイツではきちんと冷えています。
ご心配なく。
スイスに行く途中で昼食です(2)

昼食の時間は大体が30〜40分程度、これは超ハイ・スピードと言えます。
ヨーロッパはアメリカに比べて、昼食も夕食も食事の時間が一般的に長いのが普通で、昼食でも1時間くらいかかります。

私達のグループツアーでは注文するのは飲み物だけで、あとはコースでサーッと出てきます。つまり予め準備されたものが出てくるだけなのです。

私はこれもグループツアーのメリットだと思っています。
インターラーケン(1)

ドイツからオーストリアを抜けてスイスに入り、インターラーケンという町に着きました。
スイスはEUに加盟していないので、通貨はEURではなく、スイスフラン(CHF)です。
でもEURも使えます。

かつてヨーロッパ各国をグルグル10カ国回った時は、財布を幾つも持ってお金を使い分ける必要があり、エライ面倒な思いをしましたが、今はEURO12カ国では共通通貨で便利になりました。
インターラーケン(2)

夕食はスイス名物のミートフォンデュです。私はこれを初めて食べました。
まあ言って見れば”スイス版しゃぶしゃぶ”という感じです。
チーズに抵抗がある人には向きません。

我々がツアーで行ったレストランの2軒に1軒は片言の日本語をしゃべるウエイターがいたりして、日本人御用達のレストランが固定化されているのが伺われました。
インターラーケン(3)

町は道路も狭く、観光客でごった返しておりました。やはりグループツアーで目立つのは東洋人で、ここでは日本人以上に韓国人が多かったように思います。

ここから世界遺産であるユングフラウヨッホに向かいました。
この日の朝の集合時間は7時。つまりこれまでに荷物を整え、朝食を終え、バスに乗るために指定場所に集まらなくてはなりません。
ユングフラウヨッホ(1)

スイスでの観光ポイントはここだけで、この日の夕方にはフランスに向かうというスケジュールです。

今から3500mの頂上を目指します。でも頂上まで一歩も歩く必要はありません。登山電車で頂上の真下まで連れて行ってくれます。

”ようこそ”と書かれた文字を見ても、ここがいかに日本人に人気があるかがうかがわれます。
ユングフラウヨッホ(2)

3500mまで昇る訳ですから普通に考えても気温は25℃くらいは下がりますから、頂上は0℃。
ですから上に着るものをしっかりと持っていく必要があります。

それと下がるのは気温だけではなく、酸素も希薄になりますから高山病の心配も出てきます。

とかいろいろとガイドさんが説明をしてくれますが、みんな上の空。期待に胸がふくらみ殆ど聞いていません。
ユングフラウヨッホ(3)

青い空に白い雲、雪を抱いた岩山に緑の牧草地、牧草地には牛ちゃんがのんびりと草を食べています。
電車の中からのスナップにしてはなかなかの構図で写真が撮れたと我ながら自己満足です。
これで草原の部分に光線があれば絵葉書に使えるかも、、、、。
なんて思うくらいに素晴らしいお天気です。

もう「THIS IS スイス!!」、って感じで、感激の極みです。
ユングフラウヨッホ(4)

電車はごらんのような可愛い登山電車。
1回乗り換えて、乗り換え後はトンネルの中をずっと走ります。2回ほど停車をしてそこからガラス越しにスイスアルプスを見る事ができます。

アレー、ガスが出ており視界がかなり悪くなっています。そうです才ほどの快晴の地域の山を壁にした方はあまり天気がよくなかったのです。

写真は頂上手前の停車場で、もうしっかりと着込んでいないと、マジ寒かったです。
ユングフラウヨッホ(5)

電車は頂上の真下の山の中の駅に到着します。
頂上の展望台に行くには電車を降りて、トンネルの中を何百メートルも歩き、そこからエレベーターに乗ると見事展望台に出ることができます。

が、ガスで外は真っ白。アーア、一体何のためにここまでやってきたのか、もうガッカリなんてものではありません。
ガイドさんによると天気がいいのは稀で、誰のせいでもないので諦めるしかありませんネー、というお言葉。
私達:でもー、、、。
ユングフラウヨッホ(6)

ところが、皆が諦めて展望台を下りた直後、一瞬ではありますが、ガスが腫れてメンヒが目の前にズドーン!!
やはり迫力満点とはこの事を言うのでしょう。これには感激しました。

ベストコンディションの時はアイガーとかユングフラウとかいう山も見えるそうですがチャンスは低いとの事。
この雄大な景色を目に焼き付けて、私達4人は再び山の中の駅にエレベーターで下りました。
ユングフラウヨッホ(7)

大事なものを入れたリュックサック、首からは双眼鏡、それに写真ではよくわかりませんが、超小型の無線受信機も首から下げています。

今回のツアーではガイドさんは超小型の送信機を持ってこれでマイクでしゃべり、ツアー客は同じく超小型の受信機を1台づつ配られて、これをイヤホーンで聴くという方法がとられました。

これははっきり言って”超便利”です。バスの中ではマイクを使って話しをするのですが、問題はバスから外に出たときです。
ガイドさんの話を聞くにはガイドさんの周りに集まらなくてはなりませんが、無線を使うと数十メートル離れていてもちゃんと説明がバッチリと聞こえるのです。

アレ?雑音が多くなってきたなー、と思ったらガイドさんと随分離れてしまった、という事にもなりかねませんが。
ユングフラウヨッホ(8)

頂上の観光を終えて、登山の中間地点まで戻ってきました。

こここで何かしらグループ全員の観光写真を強制的に撮らせられました。これもグループツアーによく組み込まれているメニューです。
あの何とかいう首に樽をぶら下げた犬を真ん中に39名がパチリ、でした。

この撮影の商売をしているのは若い日本人のグループで、「ホラ、次はあの連中を狙え!」、とか言う言葉が聞こえてきました。
何か少し不愉快になりました。
ユングフラウヨッホ(9)

確か”アプト式”という急勾配の斜面を昇る列車に使われる特殊なレールです。
このレールの歯を登山電車側の歯車で噛みながら昇っていくわけです。

ですからスピードはそんななに出ません、よこいしょ、よこいしょと昇っていく感じです。

登山電車は小型の電車で、スイスの山々を観光するのにふさわしい、小ぎれいなものでした。
ユングフラウヨッホ(10)

このお天気の良さ、間違いなく絵葉書の撮影にも使えるとガイドさんが言っていました。

アイガーの北壁をくり抜いたところから見た氷河、頂上の展望台からは全部ではありませんでしたが、メンヒも見えました。
そしてこのような素晴らしい風景も見れました。

文句を言ったらキリがありません。これで十分です。
ユングフラウヨッホ(11)

アルプスの風景を眺めながらの昼食です。
この頃になるとグループのメンバーの方々とも親しくなり、いろいろと話しが弾むようになります。

メンバーの方は関東を中心に東北の方が多かったように思います。長野県、静岡県からもお見えになっていました。
新婚さんらしきカップルの他は熟年の方々、後は我が家の娘達のように独身者がほんの一部という構成でした。
ユングフラウヨッホ(12)

このようなお天気と風景の中では何を食べてもおいしいと感じるようになります。
この日は只のパスタ。それにリンゴパイがついているだけでしたが、誰も文句を言いません。
不思議なものです。

それと今日でこの旅も5日目になりますが、誰からも、「日本食食べたいね。」、という声が聞こえない事です。
結構平均年齢が高い割にはこれも今回のメンバーというか、コースの特徴と感じました。

スイスはカナディアンロッキーと比べてどうですか?という質問を受けましたが、このような比較はあまり意味はありませんが敢えて言うならスイスアルプスは人間の生活のすぐ傍にある、カナダは只大自然!って感じの違いですかネー。
ユングフラウヨッホ(13)

旅の疲れか、高山病の名残か下の娘は居眠りをこいています。

旅も後半に入っています。それに今日はTGVに乗ってフランスのパリまで。宿に到着が恐らく夜中の11時頃になる予定です。
朝の出発が7時でしたから、ナガ〜イ1日です。
ユングフラウヨッホ(14)

やっと麓の町に戻ってきました。ここでスイス最後のお土産を買います。
それとTGVの中では夕食にお弁当が配られる予定ではなりますが、量が少ないので何かちょっとした食べ物を買っておくとベター、というガイドさんのアドバイスでスーパーに入ってパンとかを買い込みました。

地元のスーパーは小さなスーパーなので、日本人が押し寄せたので急遽、ごった替えしてしまいました。でも売り上げに大いに貢献したのは間違いありません。
ユングフラウヨッホ(15)

ここともいよいよお別れです。
やはりスイスも日本人観光客が好むような素材が揃っているという感じが大いにしました。
この自然を見て文句を言う人はいないと思います。

今までは日本人観光客が多かったのでしょうが、周りを見ると韓国人観光客、中国人観光客なども一杯見ることができます。
これからはこれらの国の人に対しても大いに受け入れのれの準備を進めていくのでしょう。

でもあの方達のマナーの悪さ、どうにかならないですかね〜。やたら痰とかツバを吐いたり、大声で話したり、ガツンとぶつかって人を押しのけたり、、、。

一度、アッ来るな、と思ったのでぐっと肩に力を入れて構えたところ案の定、ガーン。
韓国人のネエチャンでしたけど、睨み付けて来ましたので、にらみ返してやりましたケド。
ローザンヌに行く途中のレストエリアで

ここのトイレも有料トイレ。しかもスイスフランしか受け付けないとの事で、みんなイヤイヤお買い物をしてEURを払い、スイスフランでお釣りを受け取って用を済ませました。

私は車内で飲むためのビールを1本買いました。アメリカでは車内はもちろん、公園などでビールを飲むのは御法度ですが、ここはヨーロッパ、そんなアホみたいな法律はありません。
ローザンヌ駅到着です

1時間半程でローザンヌに到着です。
ここでTGV(フランスの新幹線)に乗るので、バスからスーツケースとかの荷物を降ろし、バスとお別れです。
フランクフルトからずっと運転をしてくれたドイツ人の運転手さんともお別れです。(名前を忘れてしまいました)

私は挨拶をして握手をして別れました。
安全運転、ありがとうございました。
ローザンヌ駅

実は私はローザンヌは2回目です。20年以上前の事なのでよくは覚えていませんが、ジュネーブから車を飛ばしてぐるっと町の中を廻っただけでしたが、坂道が多く立派な建物が一杯あったのを記憶しています。

時間があれば市内の見学をしたかったのですが、残念出発まで数十分しかなかったので駅の周りをうろついただけでした。
TGVに乗り込みます

TGVは1981年に営業を開始しているフランス国鉄の超高速列車の事です。3系統あってその中の一つがスイスのローザンヌからパリに向かうラインで、これに乗りました。

ローザンヌの駅は特に改札もなく、ホームには自由に入れます。そして勝手に乗り込みます。時間になると何も言わないで、スーッと発車します。
なんか情緒がありません。

ベルが鳴って、駅員のガナル声がスピーカーから流れ、駅弁とビール買ったお父さんが走る、これが発車の風景というものです。
TGVの中

列車の幅は日本の新幹線より少し狭い感じがしました、同じくらいかも知れません。TGVは在来線と同じ幅のの線路の上を走っているそうです。

シートのつくりとはテーブルとかそれ程丁寧に作られているわけではありません。
車内販売もありません。16両連結で食堂車が1両あるだけで、乗る前に弁当は買っておかなくてはなりません。

ただ車内の静寂性と揺れの少なさは、新幹線より少々上かと感じました。
パリ中央駅到着

22時少し前にパリに到着です。時間が遅いからなのかどうかわかりませんが駅は乗客でごった替えしているという雰囲気ではありませんでした。

ここも改札なしで自由に出入りできます。
乗るときも改札なし、降りる時も改札なし、じゃタダ乗り自由か?そこまでマヌケなTGVではありません。
車内の検札は厳重に行われています。
それに武装鉄道警察官が3人乗り込んでいますので、何となく安心できます。
パリ中央駅の出口付近

夜の10時というのに空にはまだ明るさが残っています。この格子状の天井、映画で見たことがありますが、なかなか見事なものです。

ここで待っていたバスに乗り込んで中心地をちょっと離れたホテルまで。
30分くらいで到着する予定が、バスの運ちゃんが道を間違えたため1時間かかってやっとホテルに到着しました。

長い1日の終わりです。
パリ観光(1)・・・セーヌ川

やってきましたパリの街。ここも私にとっては2回目の思い出の街であります。
出張者4人でベルギーのブリュッセルから車をすっ飛ばしてやってきたのはいいのですが、運転の荒っぽさにびっくりしたのを覚えています。

パリの観光はたった1日。これではどこも廻る事はできませんが、とにかくバスでぐるっと有名な場所は廻ってくれました。
パリ観光(2)・・・凱旋門

凱旋門と呼ばれるものはパリ市内に4つあるそうです。

そう言えば、昔来たときはここで出張者4人で写真を撮っていたら、どこかの高校生の集団にバカにされたなー、、、そうそう、ここから少し歩いたところの店でお土産にネクタイ買ったなー、、、

私の場合、どうしても思い出に浸ってしまうのであります。
パリ観光(3)・・・エフエル塔

パリは第二次大戦でドイツに占領されました。そのドイツがパリから撤退するドイツ軍はエッフエル塔を爆破しようとした、、、という映画があったなー。

エッフエル塔は1889年のパリ万国博覧会に際して会場のモニュメントとして作られたそうで、決して電波塔として作られたものではありません。

そうですよねー、その頃はまだ無線電信はなかったですからねー、
パリ観光(4)・・・ルーブル美術館

この美術館はセーヌ川の右岸にあり1793年に開館されたそうです。
写真は入り口付近につくられたピラミッドでここを集合場所として見学は開始されました。

ここのコレクションの中心はルネサンス期のイタリア絵画だそうで、ちょっと私の興味の範囲からは外れていますが、美術館を全部ゆっくりと廻るには何日も必要という、巨大な美術館です。
パリ観光(5)・・・ルーブル美術館

説明するまでもなく、かの有名なミロのビーナスです。
この美術館は7つのカテゴリーに別れて展示されているそうでミロのビーナスは当然の事ながら古代ギリシャ、ローマカテゴリーになります。

この日に説明を受けたのはこれ以外にレオナルド・ダ・ビンチのモナリザ、それにサモトラケのニケの合計3点だけで、まあ興味のある人は別にゆっくりと来て下さい、という事のようでした。
パリ観光(5)・・・ルーブル美術館

この大作は”ナポレオン1世の裁冠式”だったと思います。
これと全く同じ絵がベルサイユ宮殿にもありましたがその理由がナゼか、由来とか全部記憶にありません。

世界3大ミュージアムとは、フランスのルーブル美術館、イギリスの大英博物館、ロシアのエルミタージュ美術館。
この3つの国の共通点は、外国を荒らし回った国である、という事です。
と言うことは間もなくアメリカのどこかの美術館が加わって、世界4大ミュージアムの誕生かな?
パリ観光(6)・・・パリでの昼食

パリのど真ん中のレストランで昼食を摂りました。名物エスカルゴも頂きました。もう一度食いたいという味ではありませんでした。

このレストランにはイタリア人の団体さん数十名も昼食を摂っていました。

パリのガイドはパリ在住の方によるもので、非常にわかり易い説明でした。
このガイドさん、イタリア人を見ると、「あの厚かましい連中は、、、」、とぼやいていました。
ベルサイユ宮殿(1)・・・ルイ14世像

ベルサイユ宮殿はパリの中心地から少し離れておりバスで30分ほど走ったところにありました。

ベルサイユという言葉を聞いて思い出すのはベルサイユの薔薇、というアニメ。それに宝塚歌劇。
今回は事前準備不足の中を宮殿を訪れたので、せっかくの見学の価値が半減。
深く反省です。

尚、ベルサイユ宮殿はルイ14世の宮廷として建てられたそうです。
ルイ14世についての知識も浅く、「朕は国家なり。」、という事を言った人とか、とにかくえらい権力者であったとか、当時としてはエライ長生きをした人とかそういう断片的なな知識しかありません。
ベルサイユ宮殿(2)・・・天井画

具体的な調査不足はともかく、宮殿の中は圧巻で、特に天井画の素晴らしさは息を呑みます。

ベルサイユ宮殿には1300だか1500の部屋があるそうですが、とにかく当時の一流の建築家を集めて、50年の歳月をかけて作ったそうです。

しかしこのような天井画、どうやって描いたのだろう。絵の具というか、ペンキは下に落ちてくるわけですから、顔とか頭とかペンキだらけになったのだろうか、、、寝ころんで描いたのだろうか、、、。
大変だったに違いありません。
ベルサイユ宮殿(3)・・・鏡の回廊

ここは宮殿内の最大の見どころの一つです。
舞踏会とか祝宴が行われた場所でもある、と説明を受けました。

鏡とシャンデリアの調和は確かに素晴らしく、これに天井画が加わり、豪華かつ重厚な雰囲気を作っています。

ベルサイユ条約は、このベルサイユ宮殿の中で締結されたとも説明を受けました。
ベルサイユ宮殿(4)・・・宮殿裏の池

このような広大な宮殿がたった1人のために建てられた訳ですが、一体何人くらいの人がここで働いていたのでしょうか。

いずれにせよ、ヨーロッパの文化と言えば貴族文化の事であり、非常に明快な階層社会を象徴していると言えます。

一方日本はどうかというと、もちろん支配者階層による文化は存在しますが、そうではないもう少し下のレベルでの文化がかなり強く形成されている、というのが特徴であると何かの本で読みました。
ベルサイユ宮殿(5)・・・庭園

典型的なフランスの庭園だそうで(何がどうフランス的なのか私は知識がない)、あちこちに神話とか寓話に出てくる人物とか動物の像が建っています。

あれだけ多くの観光客もこれだけ広大なところに散らばると、人の姿は全く目立ちません。
いったいベルサイユ宮殿ってどれくらいの広さがあるのか後で調べてみました。

約1000ha、つまり10平方キロの広さだそうです。(例えば、幅を2kmとすれは長さは5kmとなります。)
ベルサイユ宮殿(6)・・・花壇

宮廷横の花壇庭園です。花壇は広大な敷地の中に作られており、見事です。

観光に来ている人は様々な国の人のようで、フランス語以外の言葉がたくさん聞こえます。
写真を撮って下さいと頼まれた母娘の2人連れはスペインからやってきたと言っていました。
パリの街角にて

食事の度(昼、夜)に大体20EURくらいの現金が必要で、これは飲み物がツアー代金の中に含まれていないからです。
現金がなくなっても心配はいりません。日本と違って、アメリカのカードで町中のキャッシュディスペンサーから現金は簡単に引き出せます。

写真はカミさんと娘達が町中のアイスクリーム売りからアイスクリームを買っているところ。
女というのはどこに行っても、何か口に入れていないと気が済まないらしい。
パリの越後屋の前にて

「越後屋、主も悪よの〜、、、。」、の越後屋(三越)です。
本日の観光を終えたところで雨が降ってきました。店は7時で閉店で、迎えのバスをここで待ちます。この店はブランド品をたくさんん売っており、買い物をされた方もいたようでした。

この隣には小さな小さなラーメン屋があり、日本人がやっているようでした。
味噌ラーメンセットが10EUR(1500円ちょっと)でした。
オペラハウス

越後屋から歩いて5分くらいのところにありました。スリのメッカです。そう言えば怪しそうな目つき、物腰の男が何人もいましたっけ。

ここをブラブラしていると再び雨が降ってきました。下の娘が装飾品の店に飛び込んだら、即座に追い返されました。
「雨宿りお断り!」、と言われたそうです。
小雨の中のパリ

雨が降ってきたので、少し薄暗くなり、電灯が灯り始めてなかなかいい雰囲気です。
夏のパリも悪くはありませんが、やはりパリは秋ですかネー。

パリだけを1週間程度ゆっくりり観光するのも悪くはないと感じました。
パリはそんなに大きな街ではありませんので、中心地のホテルに宿泊して地下鉄と徒歩で何とかなりそううな感じです。
最後の夕食

フランクフルトから始まったドイツ、スイス、フランスの観光旅行もあっと言う間に終わってしまい、これが最後の夕食になりました。
明日の午後は私とカミさんはアメリカに、娘達は日本に帰ります。

ツアーで一緒だった人達も殆どは日本に向けて帰ります。今日の昼でみんなと別れて別行動に入った方もみえました。

楽しかったです。ご苦労様でした。
エッフエル塔のイルミネーション

ホテルに帰ったのは夜の10時前。

ここで解散という事になりましたが、希望者は再度地下鉄に乗ってエッフエル塔のイルミを見に行くという事でガイドさんがみんなを引き連れて行きました。

私は少し着かれていたのと、ゴチャゴチャあったので娘達2人だけがこれに行きました。

イルミで飾られたエッフエル塔はなかなか実嶺だったそうで、行く価値はあったと言っておりました。

帰ってきたのは12時を越えていたそうです。
ドゴール空港

空港には3時間以上前に到着し、2時間半くらい前にチェックインに行ったら大行列です。
帰りのエアーラインはAA(アメリカン・エアーライン)で、アメリカ人の団体さんでごった返しておりました。

久し振りにアメリカ人のGパン姿(ヨーロッパではGパンというのは殆ど見ない)と短パン姿、それにスニーカー(スニーカーもあまり見ない)姿の群れを見て、しばし苦笑です。
シカゴに向けて

空港の検査は以外と厳しく、相当な時間がかかりました。
飛行機は定時に離陸、イギリス、アイルランドを越えてアメリカ大陸に向かいます。
気流の状態も安定しており、快適なフライトでした。

席は満席ですが、あまり大声でしゃべる連中もいなくて、機内は割と静かでほっとしました。
AAの機内食

このような機内食が出ました。食べれない事はありません。喉を通す事はできます。

AAは国内線は貨物室預けの荷物は先日から有料になったり、サーチャージと呼ばれるガソリン高騰代を何百ドルも徴収したりで、四苦八苦しています。

パリからシカゴまでは9時間弱、更にシカゴからコロンバスまでは1時間で夜の10時には自宅に帰る事ができました。
今回の旅行も大きなトラブルもなく、無事終了する事ができました。
親子4人での旅行というのはこの先再びいつできるのか、いろいろと無理はあったものの思い切って行ってよかったなー、というのが今の感想です。

今回はグループツアーへの参加だったので、非常に効率よくハイライトの部分を観光できましたが、やはり1つの国に1週間くらいの日数をかけないとゆっくりと見る事は無理です。
そういう意味ではドイツ、フランス、それぞれ機会があればもう一度行って見たいと思っています。
inserted by FC2 system