日本を飛び越えちゃった−2:初めての中国、北京訪問
日本から北京というとすぐお隣という感じがしますが、オハイオから北京というと聞いただけで遠いナー、という気になります。ドアーツードアーで30時間近くかかります。日本からですとブラジルに行くのと同じような感覚かも知れません。

今回訪れた中国の北京。ここを数日間訪れただけで、じゃ中国の何がわかったかというと、何もわかりませんでした。
でも初めての国というのはエキサイティングなものです。中国は何かと話題になる国で、これから益々関係が深くなる国でもあります。

私はオハイオに足掛け10年住んでいます。
それでもオハイオの事はまだまだ知らない事ばかりです。他の州になると殆ど知りません。観光客と同じレベルです。中国をある程度知るには、1年くらいをかけて北から南、東から西を旅する必要があるかも知れません。
でもそんなの不可能です。

仕事の間を利用して、一瞬の間だけを見た北京。これで中国を語ろうなんて毛頭思っていません。私の視野の中に入った中の、しかもその何十分の一のものを不真面目なコメントと共に紹介をします。
宿泊したホテル−1

北京って、広いです。環状線が何重にも街を取り囲んでおり、そこから更に放射状に郊外に道路が走っています。

天安門を北京の中心とすると、このホテルはそこから車で20分(渋滞していなければ)くらいの場所で、北東方向にあります。

周囲はオフィスビルが乱立、住人のアパートも一杯、工事中のビルも一杯、横には高架の環状線も走っています。
このホテル、名前はKUNLUNと言います。5つ星の外人専用ホテルです。
宿泊したホテル−2

私の泊まった部屋、値段は日本より少し安いだけ。1250元(15000円)でした。恐らく少しだけ地方の労働者の1月分の収入に相当すると思います。

いろいろな料金も日本と同じかそれより高い感じです。例えばワイシャツの洗濯代は35元(450円)、ラウンジのウイスキーのダブルの水割りは15元(1800円)と言った具合です。

当然の事ですが、ここは一般社会の延長線上ではなく、隔絶された世界です。
朝の通勤風景

朝食を終えて、出勤までに時間があったので、ホテルの周りをぐるっと散歩してみました。

高架の環状線の下を銀輪部隊(自転車の群れをオフクロはこう呼んでいました)が走っています。信号が青になる度に、雲霞のごとく横切っていきます。

この自転車の群れとバス・自動車の群れが交互に行き交うのを見ていると、結構な迫力を感じます。
物売りのスタンド

上の写真の交差点の横にあった物売りのスタンドです。まだ朝の7時半、オバサンが開店準備中です。

何を売っているのか、中をのぞきき込んで見ると、ジュースとかの飲み物、タバコ、それに雑誌等でした。売っているものは万国共通です。

中の写真を撮ろうとしたら、スゴイ獰猛そうなオニイさんが、横の方からジーッと私の方を睨んでいたので止めました。
スタンドの中は四方が囲まれており、窓も小さく真っ暗で殆ど何も見えませんでしたけど。
壁新聞

中国と言えば壁新聞。
テレビ、ラジオの発達も遅れていた頃、政府が人民に政府の方針、指示を伝える重要な手段だったものです。

下の方を見ると赤字で「中共北京市委宣伝部、、、、」と書いてありました。

いろんなメディアが発達した今、この前に黒山の人だかりになって、誰かが大きな声で読み上げる、なんてのは完全に昔の話です。
ホテルの窓からの風景

ホテルの正面はビル建設の工事中、その他あちこちが工事・建設ラッシュです。オリンピックまではこのラッシュは続くそうです。

ですから大量の現場作業員が地方から働きに来ている訳で、オリンピックが終わるとこれら人達は失業する事になります。
これが問題になるという見方が一般的で、いろいろと予測がされている所以でもあります。

ちなみに私の会社は正面のビルで、ホテルから歩いて10分の距離でした。
ホテルの裏

ホテルの裏にはこのようなきれいな川が流れておりました。水はそんなに汚れているという感じはしませんでした。
この横では年配のオジサンとかオバサンが太極拳をやっておりました。

ここをぐるっと歩いてホテルに戻る途中、大学生くらいの青年に声を掛けられました。地図を開いているところを見ると、道を聞いている様子。

私は中国語はできません。英語で答えたら、その青年、「□?X?△?」。どこかへ行っちゃいました。
昼の天安門−1

行ってきました、天安門。今までテレビとか写真でしか見たことがありませんでしたが、感激。やはりデカイ、広い。

毛沢東の写真の左は「中華人民共和国万歳」、右は「世界人民大団結万歳」、と読めました。違うかな?
意味は何となくわかるような気がします。

今の中国の漢字は半分以上読めません。でも何となく想像をする事ができます。
昼の天安門−2

天安門と広場の間は大きな道路が通っており、広場から行く時は左に見える地下道を通って行きます。
写真の女性は、案内してくれた営業部のMA(マー)さん。
それまで背中にしょっていたリュックサックを前に変えました。
「どうして?」、「ここは危ないから」。

彼女は英語はほぼ完璧、日本語が少ししゃべれます。
「会社に入って何年?」
あっ、また余計な事聞いちゃった。
昼の天安門−3

団体さんがゾロゾロといきます。殆どが年配の中国人です。
ナゼかみんなナイキの赤い帽子をかぶっています。
迷子にならないための目印かな?

いろんな制服を着たのがウジャウジャいます。階級章をつけているの警官か兵隊かどちらかです。
本社のO君に聞いてみました。

「基本的に青い系統の服は警官、草色の服は兵隊です。」
言われてみれば納得です。
昼の天安門−4

広場の横にあった土産物屋でお茶を買いました。この子はそのお茶屋の店員さん。あとは壺の置物を1個。

最初65元というのをMAさんはガンガンいちゃもんをつけて、とうとう25元に値切ってしまいました。
まるで喧嘩をしているような迫力で、店員の若い女の子(多分十代)は真っ赤になって下を向いてしまったのには、私もびっくり。

「MAさん、そこまでいいよ。」
「いいの、大丈夫です。これくらい。」
私は店員の女の子がかわいそうになってしまいました。
夜の天安門−1

仕事が終わった夜の9時。
オハイオから行ったアメリカ人スタッフが夜の天安門を見たいというので、大賛成!
通訳の張さんにお願いをして、案内をしてもらいました。やはりライトアップがされてきれいでした。

張さんは英語、日本語の両方ができて、アメリカ留学の経験があり、アメリカの大学で日本語を専攻して日本語を覚えたという変わり種です。

ここに着いたのが、10時前という事もあり、観光客は殆どおりませんでした。
夜の天安門−2

観光客は殆どいなかったのですが、いたのは土産物売り。これがまあ、何ともしつこい。オハイオ人のJさん、とうとう負けて写真集を250元で買ってしまいました。

ところがその5分後もう一人のオハイオ人のSさん、全く同じ物を同じ売人から100元で買いました。
悔しがるJさん、ニヤニヤするSさん。

ナゼか私のところには殆ど売りにきませんでした。どうしてかなー。中国人だと思ったのかナー。
レストラン−1

5日間の滞在の間、昼食・夕食は1回だけを除いてずっと中華料理を満喫。
これは昼食に行った会社の近くのレストラン。

入り口にはチャイナドレスを着たオネエさんが4人も5人も立っていて出迎えてくれました。
クラスで言うと、どのようなうなクラスなのか、よくわかりませんでしたが、値段を聞くとえっと言う感じです。

つまり我々のイメージで言うと安いのです。
外国でその国の物価感覚がわかるまでには、2−3週間は必要ですね。
レストラン−2

上の写真のレストランの1階の様子です。
平日の昼間ですがこのレストラン、1階はこのように殆ど客がおりませんでした。

2階も同じような席と、個室がありましたのでかなり大きなレストランです。

この日は2階の個室に案内されました。
レストラン−3

この日の昼食。
9人で食べまくって、もう動けないという状態でまだこれだけ残ってしまいました。
オイオイ、ちょと注文しすぎじゃないの?

味付けは四川風、広東風等でかなりというか、全然違います。
1日目の夕食が四川風で、辛いの何のって!口から火が出ておりました。

私は辛いのはかなり強い方だと自負しておりますが、脳天を突き上げられる辛さには負けました。
レストラン−4

これは上クラスの大衆レストランでの昼食の風景です。周りには中国人の家族連れとかが一杯で、ワイワイと賑やかに食事をしておりました。

この時も注文オーバーで、一杯食べ残しが出てしまいました。でもこのレストラン、おいしかったです。

これで動けなくなるまで食べて一人25元(300円)です。
レストラン−5

これは明らかに高級レストランです。
料理の盛りつけは上品で、装飾までされているものもありました。
味は大衆レストランと何ら違いはありませんでした。
(気を遣って頂いた北京駐在の皆さん、スミマセン。)

これは北京を去る最後の日の夕食をしたレストランで、さすがにこの頃になると学習効果が現れて、注文オーバーはありませんでした。

いつものように液体燃料もたくさん頂きました。
夕方の交通ラッシュ

20階の会社の会議室からの風景です。
工事現場、近代的なビル、古い建物、もの凄い交通ラッシュ。北京の縮図です。

車の運転は相当に荒っぽく、ものすごい割り込みとクラクションの渦です。我が社の駐在社員は北京では自分で運転をしていますが、広州とか上海とかの他の地域では運転禁止です。
従って、運転手を一人ずつ雇っています。

北京でこの荒っぽさなのだから、上海とかではどんな運転なのかなー?
北京の町並み−1

同行のオハイオ人が突然声をあげました。「KFC(ケンタッキーフライドチキン)だ!!」

これ以外にM(マクドナルド)も2軒ほど見掛けました。オハイオ人は食べたそうに、恨めしそうな目で、これらを見ておりました。

「そんなジャンクフード、オレは食わんぞ。」、心の中でそう言って、オハイオ人の話題を無視しました。
(なんかイジワルだなー、、、。)
話によると、KFCもMもアメリカの味と少し違うそうです。
北京の町並み−2

市内の移動中に喉が渇いたので、本社のOさんに水が飲みたいと言ったところ、すぐに車を止めて写真の店にすっ飛んで行って、ペットボトルを買ってきてくれました。

スパーのような感じの店でしたがうんと規模が小さいのでスパーではなさそうでした。
これはコンビニかな?

でも店先には野菜が置いてあったので、やはりりスーパーだったのかな?
いずれにせよ、このお店で冷たい水を手に入れる事ができました。
北京の町並み−3

これは観光用に保存・復元された昔の町並みのようですが、中国というと私はこのようなイメージが強く残っています。

滞在最後の日の午後、北京駐在員がマイクロバスを手配してくれて、それに乗って市内のほんの一部を車窓から見る事ができました。

本当は庶民はどのような生活をしているのか、これを見たかったのですが機会がありませんでした。
北京の町並み−4

北京をぐるっと取り巻く、環状線の様子です。北京市民の足であるバスがたくさん走っており、このような2階バスも結構見掛けました。

バスはどれを見ても満員状態でした。このバス、1元(12円)で市内はどこでも行けるそうです。

道路の周りは、ビルとかアパートが建ち並んでいます。
空気の状態は排気ガスとかで、あまりきれいではありません。ワイシャツは1日で襟が黒くなりますなりますので、毎日取り替えなくてはなりません。
初めての中国は北京への訪問。
しかし殆どが会社とホテルの往復で、今回は生活の香りのする風景を見ることが出来ませんでした。1日だけ自由に行動できる日が欲しかったのですが、スケジュールの都合で土曜日も仕事、日曜の早朝の成田行きのフライトで北京をあとにしました。

北京の印象を一言で表すと、ズバリ「活気」、です。日本やアメリカのように整然としているところは少ない、街もきれいではないところもありました。でも何か燃え上がるようなパワーを感じました。このパワーは少なくとも日本では感じられないパワーでした。

北京、もう一度行ってみたいところです。
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