最近思うこと(少しだけ暴言:その1)
今沖縄が注目されています。米軍の大きな再編に伴い、沖縄の米軍が大移動を予定しており、これによってある人達の言を借りると、「悲願であった沖縄からの米軍の追い出し。」、が実現するというものです。

そしてこの米軍の大移動に要する費用のうち7000億円(!)を日本が負担をするという事が決まりました。もちろん日本とアメリカは同盟関係にあるのはわかります。アメリカ軍が新たな種類の脅威に対して、再編成をしているのも知っています。
アメリカには多くの同盟国がありますが、アメリカ軍に対し日本のような巨額の負担をしている同盟国が他にあるでしょうか。断じて言えます。ア・リ・マ・セ・ン。

じゃ、なぜ日本だけが負担を求められるのでしょうか?
それは日本には支払い能力があるから、という理由だけだと思っています。支払い能力があるのだから、あとは理屈をつけて財布の口を開けさせるだけです。
日本にはヘ理屈をつけられるネタは山ほどあり、普段からこのようなネタをばらまいておく、または密かにネタを集めておく、というのがアメリカの戦略でもありますから。

支払能力がなければ、いくら払わせる完璧な理屈を並べたところで、払えないものは払えません。日本は財布の中にぎっしりとお金が入っている、その事実だけに注目している、それが理由です。

アメリカでは支払能力があるかないかが、場合によって物事を決める基準である事を日本人はあまり知りません。
ある人が交通事故を起したとします。相手に重症を負わせたとしても、その人に支払い能力がない場合、賠償を要求できません。
一生を掛けてでもその償いをするという考えも日本ほど強くはないというか、「ない」と言った方が良いかも知れません。
1人が重症を負った。これを償うために、更にもう一人の人を不幸に陥れるのがいい事なのか?
日本人には理解が難しい考え方ですが、このような考え方がある事も我々は知るべきです。

電気ポッドを作っている会社がその製品を使ってヤケドをしたユーザーから訴えられたとします。
裁判でヤケドをしたのはそのユーザーが電気ポッドの使い方を間違っていた事が明らかになっても、最終的にはメーカーがお金を払うケースが多くあります。
理由は、「確かに悪いのはユーザーだけどヤケドして苦しんでいるし、メーカーには支払能力があるのだから、金くらい払ってやれよ。」、という考え方をするそうです。

物事を正しい、正しくないで判断しない場合がある事を日本人は知っておかないと、アメリカ政府・アメリカ人の言動とか行動を理解できない場合があります。

アメリカ軍が少し前にフィリピンから全面撤退したのは軍事的・戦略的な理由もさることながら、それらの部隊の一部を日本に移す事によって日本のアメリカ軍思いやり予算(実に奇妙な言葉です)の対象にして、非常に廉価なコストで部隊運用ができるというのがその理由の一つだったそうです。

日本には防衛費分担をさせている実績があり、日本政府はアメリカ軍駐留に関して沖縄県を説得できないでいるから金で解決しようとするだろう、だからこの際費用の請求をしてやれ、日本はちょっと恫喝すればいくらでも金を出すし、十分な支払い能力あるからね。ま、こんな調子でしょうか。

それにしても広い芝生にゆったりとした家を日本政府が建ててやって、そこにアメリカの兵隊とその家族を住まわせる。一方の日本の自衛隊員に対しては、4人家族で3DKとか4Kくらいの狭い官舎に押し込んでいるのが現状です。
ですから、国軍の兵士(自衛隊員)より外国の兵士を優待している、自衛隊員にとってこれ以上バカにされている話はないと思うのですが。
米軍再編で日米の兵隊さんが、あちこちで同じビルの中で勤務をするそうです。

(アメリカ軍の再編について詳しくは「講談社現代新書:米軍再編」を読むと一目瞭然です。ご参考まで。)
日本では小学生から英語を教えるという事に賛否両論、喧々諤々のようですが、どうして小学生に英語なんか教えるのか私には全く意味不明、というより愚行としか思えません。

いくら国際化が進むといったところで将来、それなりの英語会話能力が必要になる人は100人に1人(1億人で100万人)もいるでしょうか?
大半は2〜3年に1回1週間ほどの海外旅行に行って、「あーあ、オレの英語って本当にダメだなー。」、って反省しても帰ってきてからの日本での生活には何の支障もないし、第一小学生に1週間に数時間英語なんか教えても上達するとは思えないし、それでなくても日本語能力自体が怪しくなっているのだから、こちらに力を注ぐべきと思うのですが。

日本語を読んで理解し、日本語で自分の言いたいことをきちんと書ける。相手の話を理解し、自分の考え・主張を日本語できちんと言える。これを当面は最優先で勉強させるべきだと思います。

小学生が授業で話す英語をテレビで聞きましたが、全員コテコテのジャパニーズ・イングリッシュでした。
という事はカタカナで覚えた英語で、アメリカ人にもイギリス人にもフィリピン人にもインド人にも誰にも通じない、日本人だけに通じる英語もどきの言葉を一生懸命にやっていました。

皆さん、イチゴはストロベリーと言っても通じませんよ。
(敢えて日本語で書くと)「七郎兵衛」と「シューベルト」を足して2で割ったような言い方にすると通じるかも知れませんよ。

日本人が6年、8年、10年英語をやって実用にならない理由は小学生から英語をやっていないからではありません。間違いなく複数の理由が他にあると私は思っています。
私の会社には本社に教育相談室なるものがあって、海外に赴任する社員の子弟の教育・海外から帰ってくる子弟の教育・進学などについて相談を受けたり、アドバイスする組織があります。

室長は海外の日本人学校で校長先生等を経験した本職の教育者を採用しています。私も下の娘がこちらに来る時、それとコロンバスの高校を卒業して日本で進学をする時に大変世話になりました。
この教育相談室が1〜2月に1回程度、海外駐在社員あてにニュースを出しており、この中にちょっと気になる事が書かれておりました。

それは近年の駐在員の子どもの算数・数学の能力がアメリカ人と同じになってしまったという内容です。
室長のS先生は、「、、、悪名高き画一教育のお陰で、日本の初等・中等教育に於ける算数・数学は平均的に高いレベルを維持していましたが、、、、」、と書かれていました。

確かに私の娘も高校1年(10年生)に編入した時、数学だけは直ぐにトップになってしまいました。これは日本人の子どもに共通している点であったのですが、最近はそれがなくなったという事のようです。

転校先のアメリカの学校でイジメを受けていた生徒が、数学コンテストで上位1%の成績の者がもらう賞状をもらった事を知らずにいつの間にかイジメがなくなり、後でその事を知った時にその生徒が、「日本人なら誰でも取れますよ。」、と言った話。
(多分、この子は非常に謙遜深い、そして日本人とアメリカ人の違いをよく観察していた子だと思います。)

またアメリカ人の先生が、「英語の出来ない日本人の生徒を受け入れても、算数ができたのでアメリカ人生徒に刺激があったが、今はそれもなくなってきたので、英語ができない分だけ手間がかかり、日本人生徒を受け入れるメリットがなくなってきた。」、という現地校の先生の話。

私はアメリカ人と10年間接してきて、彼らの基本的な数学(この場合算数と言った方がいいかも知れません)的センスというものが一般的に低レベル(というか、バラツキが極端)である事をイヤと言うほど経験しています。

しかし自分の意見をはっきり述べたり、議論をする場合の論理を組み立てる能力は、一般的に日本人より数段上です。一方の日本人生徒は算数・数学のレベルはアメリカ人並みに下落。
理屈をこねて、それをまくしたてる能力(他の東洋人と比べても日本人はこの能力は最低の部類)は今もアメリカ人の足元にも及びません。

いずれもゆとり教育の名の下で中身を薄くした教育の成果が見事に花咲いていると言えそうです。
でもこのような状態になって誰が一番得をするのでしょうか?我々はこれをしかりと考えるべきで、頭に入れておかなくてはなりません。
そうするとその向こうに隠れている何かが見えてくる、、、、と思います。。
inserted by FC2 system